【沖縄の超穴場】製糖工場跡の煙突の生々しい弾痕が語る戦争の傷跡

2015.01.14
by kousei_saho
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平敷屋製糖工場跡 うるま市勝連平敷屋

今回ご紹介したいのは、沖縄本島中部のうるま市平敷屋にある製糖工場跡です。昨年11月半ば琉球新報という地元新聞を眺めていた際、「平敷屋製糖工場跡」に関する記事が目にとまりました。なんでも、国の登録記念物(遺跡関係)に指定されたとのこと。確か5年ほど前、近くを通りがかったときに、見た記憶はあります。ただし、サトウキビ畑の中にポツんとレンガ造りの煙突が立っていただけのような……。

ということで、1月初旬、最高気温19度の暖かな某日、行ってきました。沖縄本島中部、世界遺産の勝連グスクを過ぎた後、県道8号線を南東へ。そのまま勝連半島の先端あたりまでいくと、平敷屋という集落があります。半島の突き当たりは米軍基地「ホワイトビーチ」のゲートですので、手前で右折。そのまま坂を登って行きます。すると、すぐにレンガ造りの煙突が見えてきました。

1 煙突

ただし、途中に製糖工場跡を見下ろす丘がありましたので、少々寄り道。石碑には「平敷屋公園」とありましたが、ここはかつて「平敷屋タキノー」とよばれた場所だそうです。「平敷屋タキノー」とは、琉球王府時代の和文学者、平敷屋朝敏(非常に優秀な人物であったそうですが、非業の死を遂げ、組踊のモチーフにもなっています)が、水不足に苦しむ農民のために溜池を掘り、その際に掘り出された土を盛って築かれた丘のこと。

丘から見たホワイトビーチ

丘から見たホワイトビーチ

さて、現在は整備された公園になったその丘に登ってみました。見晴らしの良い丘の上からは、米軍基地ホワイトビーチと太平洋が一望できます。軍港には軍用船が数隻。芝生でカモフラージュされた石油備蓄タンクなどもはっきり見えます。ときどき米軍の原子力潜水艦なんかも出入りするそうですが、セキュリティ的に、大丈夫なのでしょうか。丸見えです。

軍港

軍港

丘からの風景を少々楽しんだ後、目的地の「平敷屋製糖工場跡」へ。さすがに16mあるというレンガ造りの煙突は目を引きます。さとうきび畑の横にある入口から中へ入り、さっそく、煙突の下へ向かいました。そびえ立つ煙突を真下から見上げると、なかなか立派な建造物です。煙突内部を開口部から覗いてみると、今でも使えそうなくらいしっかりとした造り(戦前の煙突が、ほぼ原型のまま残っているのは県内でも珍しいそう)。

びえ立つ煙突

びえ立つ煙突

案内板によると、工場は1940年(昭和15)年に11組のサーターヤー(黒糖小屋)が合併して新設されてできたとのこと。ところが、わずか4年ほど操業しただけで、沖縄戦により破壊されたそうです。実際、レンガ造りの煙突にはけっこう高い位置まで機銃掃射の跡が生々しく残っていました。

弾痕

弾痕

また煙突のそばにはコンクリート造りの貯水槽もありましたが、これも戦争の際、半壊したと書かれています。戦跡としての存在感は文句なしなので、登録記念物としての価値は十分でしょう。ちなみに、敷地内にはこぢんまりとした森があり、そこには、「ヌールガー」とよばれる地元の方々の拝所もありますよ。

ヌールガー近くの森

ヌールガー近くの森

「平敷屋製糖工場跡」。みなさんも足を運んでみてはいかがでしょう。現在ほとんど、観光客はいません。沖縄好きのリピーターにとっても未踏の地かも。ただし、国の登録記念物(遺跡関係)に指定されたこと、また、俳優の火野正平さんが自転車で日本中を走る、NHKの『日本縦断こころ旅』で昨年末紹介されたこと(こちらの方の影響が大きそうですが)から、今後、見学者が増えていくのはまちがいないですね。のんびり見学できるうちにぜひどうぞ。

iha伊波 一志(いは かずし)
1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。
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