モルガン財閥の大富豪に惚れられた「日本人女性」波乱の半生

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京都の魅力を様々な切り口で届けてくださる無料メルマガ『おもしろい京都案内』。今回紹介されているのは、明治時代に「日本のシンデレラ」として世を賑わせた祇園の芸妓「モルガンお雪」の波乱に満ちた人生です。一芸妓がなぜアメリカの金融王と結婚することになったのか。そしてなぜ彼女が「京都を救った」と伝わるのか。興味深いストーリーが綴られています。

京都を救ったモルガンお雪

今回はアメリカの金融王ジョージ・モルガンと結婚して明治時代、日本のシンデレラと言われたお雪の物語です。

モルガンお雪とはどんな人?

モルガンお雪の本名は加藤雪といい、1881年(明治22)生まれの女性です。姉が祇園でお茶屋兼置屋「加藤楼」を経営していたので、14歳で芸妓となりました。芸妓名は雪香。舞踊が上手く胡弓(こきゅう)が得意だったようです。21歳の頃、お雪には京都大学に通う10歳年上の川村という彼氏がいました。お雪は苦学生だった彼の学費や生活費を払って面倒をみていたようです。お雪は将来彼と結婚することを心に決めていたのでしょう。

そんなときアメリカ人のジョージ・モルガンと出会います。明治35年春、都をどりの時にその出会いがありました。都をどりは今でも祇園甲部の芸舞妓さんが年に一度4月に日頃の精進の発表の場として舞を公演する歌舞会です。

都をどりについて詳しくは、おもしろい京都案内第30号を。

舞台に咲く京都の春。「都をどり」で日本の魅力を堪能する

当時芸妓だったお雪は毎年恒例の都をどりで舞を披露していました。そこへ、失恋して日本に旅行しに来ていたアメリカの大富豪がやってきます。アメリカの3大銀行の1つJ.Pモルガンの創始者の甥のジョージ・モルガンです。モルガン家はカーネギー、ロックフェラーと並ぶアメリカの金融大財閥で、今もその影響力は絶大です。

ジョージは都をどりで紙吹雪や桜の景色などの舞台演出を観て感激し大喜びしたそうです。それから数日後、ジョージはお雪と料亭で食事するきっかけを得ました。胡弓(こきゅう)をひき、ひたすら客に尽す日本女性のやさしさにジョージはすっかり惚れ込んでしまいました。しかしお雪には当時川村という恋人がいます。川村は前途有望な京大生でしたが、芸妓の恋人がいるという理由で就職が難航している時期でした(なぜそのようプライベートなことを面接で言ってしまうんだろう?(笑)

料亭でお雪と食事をしたジョージはお雪に結婚を申し込みました。ジョージの求婚は誠実でとても激しいものでした。お雪は川村とモルガンとの間で悩み苦しみました。お雪は当時親交のあったマキノ省三に相談しました(マキノ省三は日本最初の映画監督で日本映画の父と言われてる人物です。津川雅彦の祖父)。彼はお雪の川村に対する純粋な愛に同情し、2人のために一肌脱ぎました。

マキノは、ジョージにお雪との結婚を諦めてもらうために、お雪を芸妓から水揚げさせるために4万円必要だと告げました(当時4万円あれば南座が買える金額だったという大金)。途方も無い金額をふっかければ諦めてくれるだろうという作戦でした。しかしそこはアメリカの金融王の御曹司、ジョージはお雪と結婚出来るならと一度帰国しすぐに4万円用意して京都に戻ってきました。お雪と川村は逃げるようにして駈落ちをし、北海道に行き、新しく出発する決意をしました。しかし、お雪は祇園のしきたりから逃れることは出来なかったのです。4万円もの大金で身請けしてほしいと言われれば祇園芸妓としては断る理由がありません。それは一芸妓が判断出来るようなことではなかったのです。

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