現在、高視聴率をキープしているNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。主人公のモデルとなったのが『暮しの手帖』を創刊した大橋鎮子さんです。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな大橋さんと、名編集長と謳われた花森安治さんとの逸話が紹介されています。
オレンジ色がいるのだ
いまでもはっきり覚えています。
昭和23年に創刊した『暮しの手帖』が、14号目の編集作業に入っていた昭和26年のことでした。木製家具と座布団を組み合わせて撮影することになりました。座布団はオレンジ色にしたいというのが編集長の花森安治の希望です。
私は早速、銀座に行きました。当時、洋服といえばほとんど自分の手縫いでしたから、銀座には生地屋さんが多かったのです。
オレンジ色は、いまでもそうですが、印刷でその色を出すのには大変難しい色なのです。それで私は、オレンジ色の布を探しに歩き回りました。デパートにも行きました。しかし、オレンジ色はありませんでした。
オレンジに近い色の生地を見つけ、社に戻りました。すると、待っていたのは花森安治さんの怒鳴り声でした。
「なんだっ、この色は! ダメだ、もっと探しなさい」
花森さんの仕事に対する厳しさはたとえようがありませんでした。
私はまた社を飛び出しました。六本木を探して歩き回り、神田にも足を伸ばし、横浜の元町まで行きましたが、オレンジ色はありません。
「オレンジ色がいるのだ」
「僕が欲しいと思う色とは違う」
といいます。こうして1週間が過ぎました。困り果てて、母に相談したところ染めるほかない、ということで、銀座のえり円さんという染め物屋で、染めてもらうことにしました。ああでもない、こうでもないと苦心を重ね、ようやく染めあがった生地を花森さんのところに持っていって、やっとパスいたしました。
「うん、これだ、これだ」
その生地で座布団を作り、私はようやく肩の荷をおろしたものでした。
当時、日本ではほとんどカラー印刷はありませんでした。もちろん、『暮しの手帖』は白黒の印刷でした。考えてみたらそれまで色のことで、あんな大変な思いをすることはなかったのです。
私は花森さんに聞きました。
「白黒写真なのに、どうしてこんなに色に厳しいのでしょうか」
返ってきた答えはこうでした。
「きみたちの色彩感覚を鍛えるためにやったことだ。色の感覚はそう簡単に身につくものではない。やがて、日本もカラー印刷の時代がくる。そのときになって、色に対する感覚が育っていなかったらどうする」
そのときなんにも知らない私は、恥をかき、心から花森さんに感謝いたしました。このことが私の出発点でした。
『致知』1995年6月号掲載
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