「自動運転」という単語を使わせるな(伊藤洋一)



「自動運転」という単語を使わせるな

テレビも雑誌も「自動運転」特集ばやりだ。「こんなに凄い」「こんなことも出来る」「何もしなくて良い」などなど。

しかし私は強く警告したい。

あと少なくとも数年は「自動」という単語はこの分野では使わない方が良い、と。それは多くの消費者に誤解を与え、数多くの事故の元になると考える。

私は新しもの好きで知られる。何せトヨタの燃料電池車MIRAIを個人として誰よりも素早く予約・購入し、今使い始めて1年を過ぎた。先日トヨタ自動車の友人と話をしていたら「個人の購入としてはとっても素早い」と言われた。試すに価値がある車だと思ったからだ。日本が世界に発信した新しい車。

しかし今の中途半端な自動運転車は全く買う気になれない。技術進歩には大賛成だし、完成したら多分買う。今はあまりにも欠陥が多すぎるのだ。今世界各国の自動車メーカーが「自動運転車」と称して発表している車の機能は「自動」にはほど遠く、「部分的補助機能」に過ぎない。例えば日産が発表した新型セレナ。高速道路上の同一車線を自動で走行できるらしい。

常高速道路で同一車線を長く走ることなど、私の場合ほとんどない。走行車線を走り、しばしば追い越し車線に移動して追い越しをし、そしてまた走行車線に戻る。その繰り返しだ。追い越し車線を長く走ることは道路交通法で禁止されているし、実際に警察はそれを検挙項目としている。なぜなら「追い越し車線」はあくまで「追い越し」の為の車線であった、走行の為の車線ではない。ということは、セレナは走行車線を走り続けるしかない。そんな車が面白いのかと思う。ドライブの楽しみはどこに行ってしまうのか。

テスラの自動運転車が死亡事故を起こしたことはかなり報道されている。結局は電子の目が白く、太陽光を反射していたトラックの側面を認識できなかった為とされる。電子の目もその程度の信頼度なのだ。はるかに人間の目の方が優秀だ。良くないのは「自動」と付くと我々人間は「何もしなくて良い」と勘違いすることだ。言葉がそういう意味を持っているのだから仕方がない。

しかし私だけでなく、自動車購入時の影響力が大きいといわれる情報誌「コンシューマーリポート」は先日テスラ・モーターに「”自動運転モード”の停止」を要請した。テスラへの警告として出た記事だ。私はこれに賛成だ。しかしこれは不完全な「自動」を売り物にしている全自動車メーカーが聞くべき警告だと思う。

「自動」という一つの単語が、今の「運転補助」に過ぎない機能に対する過度な期待と油断を誘発していて、それが日本でもこれまで数件の事故に繋がった。今後も事故の種となると考えれば実に危ない。今の自動運転車は実は人間の一部の機能を代替しているに過ぎない。しかし運転手は実は、「何と何に自動の機能があるのか」をしばしば誤解し、時に忘れる。レンタカーの場合はどうするのか。

実は燃料電池車になると、車の中を見ても何が何だか分からない。それはハイブリッドでもそうだ。昔の自動車はボンネットを開ければどこに何があるか分かった。故に直せた。しかし今後はエンジン系だけでなく、コントロール系の機能も人間は中途半端にマシンに譲り渡そうとしている。車が人間にとって完全に「ブラック・ボックス・マシン」になってしまう。

自動運転の情報処理は一台一台膨大だ。デジタル立体地図を利用し、ネットを使って瞬時瞬時に情報処理しながら走る。しかし一台一台の車が膨大な情報処理をし始めたらネットワークがもつだろうか。仮に電波障害、ネットダウンが起きたらどうなるのか。今の日本では山の中では電話も通じない場所がある。なのに「自動運転」を売り物にするのは間違っている。

その場所その場所でネットが使えるかどうかなど、我々には分からない。見えないからだ。高層ビルの近くやトンネルを走るとGPSの電波がやや不安定になることを我々は知っている。ポケモンGOのGPS電波よりは優秀だろうが、完璧と言うことはない。その不完全が起きたときに何が起こるのか。自動運転車はGPSの電波に大きく依存する。今のオーストラリアのようにゆっくり北に移動している大陸の場合は、既に微妙にGPSが狂っているという。

筆者は思う。自動車に使われるこの「自動」という単語は訴訟の対象にもなりうる危険な単語である、と。先日ある放送局の送りの車の中で運転手さんと話していたら、「自動運転なんて絶対に使いません。だってクルーズ・ドライブも最初だけですかね。もう全然使いません。危ないので」と言っていた。

私もクルーズ・ドライブは全く使わない。ガソリン安で道路が混み合っている今の時代に、この機能を使える道など高速道路を含めて首都圏にはない。繰り返すが「技術革新」には大賛成だ。しかし「こんなことが出来るようになりました」と言う割には、法体系の整備は全くの手つかずだ。自動運転がウリの車で事故が起きた場合に誰が責任を取るのか。

「自動」という単語を使うからには通信環境を含めた技術革新のレベルが今より格段に上がり、田舎道まで含めてインフラの整備(白線の明確化、電波状況の改善など)が進み、監視・通信機能が万全で、かつ法制度が整う必要がある。少しの機能が出来るようになったからと言って、それをことさら喧伝するのは危険だ。3Dテレビも「次の時代はこれになる」と盛んに宣伝されたが、今は誰もが頭の中から忘れている。

「自動運転車」にはそうなって欲しくないが故に、より一層の技術革新、インフラ・法整備を望みたい。それまでは是非、人々に誤解を生む「自動」という単語の使用を控えて欲しい。今のそれはちっとも”自動”じゃないし、車を運転する人に間違ったイメージと油断を植え付ける。(伊藤洋一)



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