【書評】絶対絶命の産廃企業を救った「所沢のジャンヌ・ダルク」

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「所沢のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、絶体絶命に陥っていた「産廃企業」を救った女性社長を知っていますか? 無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さんは、いま注目を浴びている産廃業者の女性社長・石坂典子氏の著書に学ぶ、企業を改革するためのヒントを紹介しています。

教え方が変わると

最近読んだ本の内容からの話。

埼玉県所沢市、川越市、狭山市、三芳町の3市1町にまたがる雑木林「くぬぎ山」は、かつて産業廃棄物処理施設が集中しており、「産廃銀座」と呼ばれていた。ところが、所沢の野菜にダイオキシンが検出されたとテレビ局が誤報を放送したことで、地元の農家は風評被害を受け、ダイオキシンを出す産廃業者への大バッシングが始まった。

産廃銀座の中にある中間処理業者・石坂産業は、日本で初めてダイオキシン対策炉を導入するなど、創業者社長が積極的に問題に取り組んでいたが、そんなことは地域の人からは全く評価されず、社長は地元の反発に憔悴しきっていた。

同社で事務員として働いていた娘の石坂典子氏は、「父が築き上げた会社をなんとかしたい」という一心で、「私に社長をやらせて下さい!」と言った。2002年、30歳だった石坂典子氏は、「1年間で何ができるのかを見せてみろ」という条件で取締役社長の肩書きをもらい、1年間の「お試し社長試験」が始まった

石坂氏は、創業者の父や古株の社員たちと大きく衝突しながら、改革へと着手していった。かつて15億円を投資して作った焼却炉の廃炉、投資額40億円の全天候型独立総合プラントの導入など、生き残りをかけた決断を次々に下していった。

脱・産廃屋」を目指した同社の業績は向上し、絶体絶命の状況から年商41億円に躍進。2013年に父から代表権を譲り受けた石坂典子氏は、その手腕が数多くのメディアに紹介され、「所沢のジャンヌ・ダルク」と呼ばれるようになった。同社は国内外や各業界からも見学者が後を絶たず、地元住民に愛される会社へと生まれ変わった。

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