農村を磨いて本物を生む~主婦が殺到する人気ブランド店の秘密・サンクゼール/読んで分かる「カンブリア宮殿」

食べたら買いたくなる~主婦が殺到、珠玉の食材店

埼玉県越谷市の大型ショッピングモール「イオンレイクタウン」の中に、女性たちに大人気の食料品店、サンクゼールがある。売っているのはドレッシングに、自家製のソーセージなどのこだわり食材。あちこちで試食が行われている。

大人気の「オールフルーツジャム ラ・フランス」は617円。厳選したフルーツを原料に、砂糖を使わずフルーツの甘みだけで仕上げたもの。保存料や着色料を使っていない自然派ジャムだ。ジャムと並ぶ売れ筋のパスタソース。「ガーリック&トマト」(699円)など、バラエティに富んだ味が10種類も揃っている。人気の「トマトクリーム」はパスタの本場、イタリアのトマトと北海道の生クリームで製造。具を加えて茹でたパスタにあえれば、簡単に本格的なイタリアンパスタが味わえる。

ワインだって試飲し放題。サンクゼールはひと味違うものをバンバン試食してもらう「試食マジック」で、女性客の心を掴んでいる。

サンクゼールの本店は、長野県北部に位置する飯綱町の田園を見下ろす小高い丘の上に建つ。店内を覗くとこちらも大盛況。本店にはワイナリーが併設されていて、ワインコーナーが充実している。

ショップの隣にはデリカテッセンのコーナーが。自家製のソーセージ盛り合わせ(1400円)、キッシュ(700円)などの手軽なメニューも揃う。お客はそれを芝生の広がるガーデンに持ち出し、ワインと一緒に楽しむことができるのだ。

サンクゼールの本店はただの店ではなく、「ヨーロッパの田舎町」のイメージで作られたテーマパーク。東京や大阪など県外からのお客も続々。年間12万人を引き寄せる観光スポットとなっている。

お客の目当ては買い物や食事だけではない。ソーセージ作りなど、様々な体験イベントが用意され、家族で楽しめる。この日、限定の体験ツアーで向かった先はサンクゼールの自社農園。ワイン用のぶどう畑だ。行われたのは年に1回だけのブドウの収穫体験。収穫の後は、去年仕込んだワインなどが飲み放題に。

この本店を中心に、サンクゼールは今や全国46店舗。年商は65億円に迫る勢いだ。

転機はヨーロッパ~田舎にこそポテンシャルがある

長野・信濃町。サンクゼールを作り上げた久世良三を社長室に訪ねると、不在。外で池の掃除をしていた。掃除の次は、ショベルカーに乗り込み、急な坂もおかまいなしで降りていく。広大なテーマパークを作る時も、久世は重機で大活躍したと言う。

「仕事というより趣味みたいなもの。いろいろな道を作ったり、新しいことに挑戦することにやりがいを感じるんです」と語る久世は、やってみたいことを見つけたら挑戦せずにいられない、夢を追い続ける人生を送ってきた。

東京都豊島区出身。地元でも有名な食品卸問屋の三男として生まれた。学生時代は長野県に通い詰めスキー三昧。何不自由ない毎日を送った。大学を卒業後は一旦家業を手伝ったが、学生時代からの夢が捨てきれず、1975年、長野・斑尾高原にペンションを開業。スキー客を中心に繁盛した。

転機は34歳の時。妻のまゆみさんと共に旅したフランスで、その後の人生を変える出会いが待っていた。

訪ねたのはフランスの田舎町、ノルマンディー。リンゴの発泡酒、シードルの名産地だ。そこで目にしたのは、リンゴ畑の中で牛が飼われるのどかな光景。同じ敷地にはシードルを作る工房もあった。しかも、村人たちは誇りを持って、世界に認められる本物を作っていたのだ。

当時の日本の田舎と言えば、若者たちが離れ、過疎が進んでいく、先の見えないイメージ。そんな日本とはまったく違う田舎の姿に久世は衝撃を受けた。

「世界中にお客さんを持っていて、でも作っている場所は本当に田舎。田舎にこそポテンシャルがあると気づかされ、それを長野でやってみたいな、と」

フランスから帰国した久世は、山を購入し切り開くと、加工工場やワイナリーを建設。そこで農産物を自社栽培し、加工、そして販売まで行うように。今で言う6次産業だが、そんな言葉もなかった時代の挑戦だった。

フランスで見つけた夢をそのまま形にした商品もある。それがノルマンディーで見たシードルだ。

久世がこれを作るのに使ったのが地元にあった幻のリンゴ。「高坂リンゴ」という品種で大きさは普通の3分の1ほど。日本古来の和リンゴだ。ただし酸味が強すぎて食用には向かず、作る農家もほとんどなくなっていた。高坂リンゴをシードルの原料に使うことで、地元のリンゴ農家にも恩恵をもたらした。そのシードルは今、人気商品になっている。

フランス旅行から32年。久世は今、田舎から全国に本物を届ける夢を現実にした。

「小さな会社ですが、日本中、そして世界の皆さんに愛されるブランドに育てていきたい。農村に無限の可能性を感じていて、まだやれることはいっぱいあると思います」



倒産寸前、借金地獄を救った夫婦愛

この日、本店のデリカで販売する新商品の試作が行われていた。名産のリンゴにシナモンをまぶしパイ生地の上へ。特製のアップルパイだ。普通はあらかじめリンゴを煮ておくが、生のまま包んで焼くことで、食感のいいパイになるという。

新商品の開発責任者は、久世の妻、まゆみさん。これまで多くのサンクゼールの味を手がけてきた。だが、まゆみさんが支えてきたのはサンクゼールの味だけではない。

二人の出会いは40年前。久世が始めたペンションにまゆみさんが客として訪れ、半年後の1976年に結婚した。育児とペンションの仕事で大忙しとなったが、そんな中、「果樹園があって、味は美味しいけど形が悪いりんごがコンテナで売っていたんです。これをジャムにしたらいいんじゃないかと思って」(まゆみさん)、宿泊客のために、砂糖を抑え、りんごの味を生かしたジャムを手作りすることに。これが夫婦の運命を変えたと言う。

「まず自分のペンションで売ったら飛ぶように売れまして、これはいけるかもしれない」と思った久世は、ペンションをたたみ、古い民家を借りて、ジャムの販売会社を作る。そして1987年、「サンクゼールの丘」事業に着手。フランスで見た光景を再現すべく山を切り開き、レストランや自社工場を作ったのだ。

しかし当時はバブルの絶頂期。田舎の、それも山の中までお客がくるはずもなく、閑古鳥が泣いた。無理な投資もたたり、借金は8億円にまで膨らんだ。こうなると銀行も黙っていない。サンクゼールは倒産の危機に追い込まれた。

「夜、眠れなくて睡眠薬を飲んだり、それでも眠れなくて、声がだんだん出なくなりました。やはり自分を責めますよね、経営者として情けなくて」

久世は、連帯保証人になっていた妻だけでも守ろうと、離婚を申し出る。

「『離婚してほしい』と言った時に、妻が怒って、『私はペンションが好きで結婚したわけじゃない。あなたが好きでついてきたので、一番大変な時こそ私が支える。そんなこと言わないでほしい、ふざけないで』と」

妻に励まされた久世はギリギリの状態ながら会社を守り抜く。

すると会社から爆発的なヒット商品が生まれた。長野オリンピックが地元で開催された際、サンクゼールのジャムが公式商品に認められ、注文が殺到した。翌年、軽井沢に直営店をオープンさせると、この店も大ヒット。こうして久世は最大の危機を乗り越えたのだ。

「本当にオオカミ少年みたいに、嘘というか、ビジョンばかり言っているので、嫌気がさしたこともあったんですけど、結果的に、言ったことはすべて実現しているんですよね」(まゆみさん)

久世の追い求めた理想郷。その存続の危機を救ったのは夫婦の絆だった。

傲慢社長が涙の謝罪~危機を乗り越えた感動秘話

古くからいる社員に昔の久世の印象を聞いてみた。経理部の山口幸枝は「今とはまったく違って、人を寄せ付けない雰囲気があったかなと思います」という。さらにMD本部本部長の山田保和によれば、「自分の意に合わないとすぐカッとなる。自分の考えと違う企画書だったりすると、『方向性が違う』と放り投げて、『こんなのやってられないよ』と」。

今の久世からは想像もできないワンマンの傲慢社長だったのだ。久世は「人に対して弱みを見せてはいけない。社員がついてこなくなる、と思い込んでいたんです」という。

しかし8億円の借金を抱え、にっちもさっちも行かなくなった時、久世は社員を集め、こう話した。

「今のままいくと、この会社は今年中に潰れるかもしれない。全部私の責任です。許してください」

涙を流しながら、社員に心から謝った。

「本音を話してくれたのはすごく嬉しかったですね。『じゃあ一緒に頑張ろう、立て直せるようにしよう』と思えました」(山田)

そこから社員たちは一丸となって頑張り、あのオリンピックジャムの逆転劇を呼び込んだのだ。

スタジオで「あれがなければ会社は元気がなく、活性化していなかった」と、当時を振り返る久世。村上龍が興味を抱いたのは、人間関係などでは反省をすることで壁を乗り越えながら、一方で「いやなものはいや」を貫いたその生き方だった。久世はこう語る。

「世界を見てきて理想があるので、それは譲れない。結構、頑固だと思います」

地方の逸品が大集結~和の食材で世界に挑め

「ヨーロッパの田舎」をテーマに成功した久世がまた違った店を打ち出した。

千葉県千葉市の「イオンモール幕張新都心」にある「久世福商店」。ここで売られているのは普通のスーパーなどにはまず並ぶことのない和の食材だ。自社製造しているサンクゼールとは違い、作っているのは地方のメーカー。それも特にこだわっている隠れた逸品を探し出し、一堂に集めている。

例えば「さば節屋のさばスモーク」(432円)。屋久島で揚がったゴマサバを使った無添加の燻製。半ナマで品のいい味わいだが、地元以外にはほとんど出回っていない。金沢のメーカーが作った味噌汁「お吸い物最中」(280円)は、最中の皮がモチモチした具になる。

「地方のメーカーさんを回ったら、皆さん未来に対する漠然とした不安を感じている。そういう皆さんと一緒に成長できる、海外の人に知ってもらえるブランドを作りたいとひらめきました」(久世)

地方メーカーとタッグを組んで世界進出を狙う久世福商店。中には3年間で累計267万個を売った大ヒット商品もある。それが「風味豊かな万能だし」(5袋入り648円)。このだしを作ったのは静岡県焼津市の老舗鰹節メーカー「新丸正」。昔ながらの伝統製法にこだわって薫り高い極上の鰹節を作ってきた。その鰹節を使いだしパックを作ったが、地元以外に販路がなかった。

これに目を付けたのが久世福。日本一のだしパックを作ろうと、3年前から共同開発に乗り出した。「新丸正」の久野徳也社長は、「当初の『だしパック』より28倍の数量が動いています。非常にありがたいビジネスをさせていただいています」と語る。

地方の埋もれた商品をどう売れる商品に変えるのか。そこには久世福流の仕掛けがあった。ある日、サンクゼールの商品検討会議で提案されたのは、新潟県内でしか売られていないお菓子「新潟チップス」。一旦、炊いた米を潰さないようにチップスにする。特許製法で作った、他にはない味わいだ。

味は申し分ない。しかし、そのままでは売れないことが多いと言う。始まったのはパッケージの検討。中身はそのままに、外側を売れるように変えているのだ。バイヤーの佐々木道子が取りかかったのは最も重要な部分。パッケージに乗せるキャッチコピーだ。

端的にどんな味なのか、どう美味しいのかが想像できなければダメ。これを2行で表現する。

店頭に並べられた商品の最終形を見てみると、商品名は「新潟チップス」から「お米チップス、米職人」に。キャッチコピーは、「こんなお菓子食べた事ない!」「ご飯から作った特許製法のお米チップス」になっていた。

狙うは年間3万6000個。地方の埋もれた商品が次々とお宝に変わる。

~村上龍の編集後記~

日本も本当の豊かさに気づきつつある、久世さんと話していて、そう思った。

貧しい国は、衣食住など、切実に優先すべきことがあり、田舎にこそ美しい風景があるというような実感を持つのがむずかしい。

「外部の視線を持ったよそ者だったから信州の風景の良さを発見できた」 久世さんはそう言う。

ただ、よそ者として存在するのは簡単ではない。往々にして孤立する。だが、孤立から目をそむけず、現実に立ち向かうとき、必ず同志が現れる。

つまり、孤立を恐れない永遠のよそ者だけが、同志を得て、新たなる地平を拓くのである。

<出演者略歴>

久世良三(くぜ・りょうぞう)1950年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、ダイエー入社。1973年、父の会社、久世に入社。1975年、ペンション経営を開始。1982年、斑尾高原農場設立、社長就任。2005年、社名をサンクゼールに変更。