和食の異端児が切り拓く!進化する日本料理の未来・菊乃井/読んで分かる「カンブリア宮殿」

二子玉マダムが行列~幻のいなり寿司

東京・二子玉川のランドマーク、「玉川タカシマヤ」のデパ地下に、ある名店の売り場がある。行列を作る客のお目当ては、いなり寿司だ。一見ごく普通のお稲荷さんが飛ぶように売れていく。

熱烈ファンを生む人気の秘密は、ジューシーなお揚げ。京都の老舗豆腐店からわざわざ取り寄せている。すぐ裏で握っているのは、出来立てを食べてもらうため。1個195円で1日100個限定。巷では「幻のいなり寿司」などと呼ばれ、昼過ぎに売り切れてしまうことも珍しくない。

この人気商品を生み出す店の名前は菊乃井。その名を知られる老舗料亭だ。創業は1912年。京都・東山区に本店を構える。

本店に一歩足を踏み入れれば、こだわり抜いた芸術的な庭と室内空間がお出迎え。そこで振舞われるのは、月替わりで旬の食材を厳選して作る極上の日本料理だ。これが高く評価され、ミシュランで三つ星を獲得した。さらに京都の支店「露庵」と東京の赤坂店も二つ星に。合わせて七つ星という世界に認められた名店だ。

東京の赤坂店。結婚10周年のお祝いで初めて料亭に来た須山茂さん、智美さん夫妻について行くことに。建物は数寄屋造り。京都の有名な棟梁の手によるものだと言う。

まずは猪口と呼ばれる懐石料理の前菜から。柚子釜豆腐は、旬の柚子をくり抜き、特製の豆乳を入れて、蒸し上げた料理。菊乃井オリジナルの一皿だ。

続いては向付。お造りだ。メジマグロの中トロに、わさびではなく辛子を添えてある。これに玉子の黄身を醤油に和えた「黄身醤油」をたっぷりつけて食べる。

こうした料理はどのように作っているのか。

厨房には一人だけ喋りながら作業している料理人が。須山さん担当の仲居さんに、マイクとイヤホンで連絡を取りながら料理を作るタイミングをはかっているのだ。

指示を聞いた料理人が蒸し器から器を出す。アツアツの甘鯛の粟蒸しだ。すかさず別の料理人が春菊の餡をかける。蒸し物が上がる直前に火を通し、鮮やかな緑に仕上げた。さらに別の料理人と入れ替わり、出汁で炊いた青味大根と金時人参をあしらう。3人の料理人の完璧な連携。

さらに焼き物は比叡山のモミジを炙り、焚き火を演出。そこに盛られるのは、杉板で蒸し焼きにしたカマスと椎茸だ。

須山さん夫婦にとっても、初体験の料亭の味は想像以上だったようだ。

これだけの料理で基本のコース料金は1万5000円(税・サ別)から。他の高級料亭とは一線を画す、手の届く値段だ。



七つ星料亭「菊乃井」、その知られざる裏側

赤坂店の朝9時。料理人たちがゾロゾロと玄関前へ出てきた。すると1台のトラックが到着。神戸から8時間かけてやってきた。

運ばれてきたのはまだ活きている伊勢海老。菊乃井では京都で使う物と同じ関西の魚を、毎日、取り寄せている。鯛の中でも特上の明石の鯛も。運んでいる時に暴れると味が落ちるため、箱には仕切りが付いている。

 玄関先でいきなり締め始めた。締めた鯛は大急ぎで厨房へ。トラックから出して店の水槽に入れるまでに、暴れて身が傷むからだという。玄関から厨房までは1分程度。そのわずかな距離でも、味を落とさないようにするのが菊乃井のやり方なのだ。

仕入れの後は下準備。料理はすべてお客が来てからで、ここでは下ごしらえだけ。お客に出す時間からの逆算で作業を進めていく。

夕方4時25分。料理人たちが、店のカウンターの前に集まってきた。心なしか空気が張り詰めたように。挨拶をするのは菊乃井3代目主、村田吉弘だ。

ただの料理屋の主ではない。安倍総理の外遊にたびたび同行し、各国首脳とのレセプションなどでは総料理長に。日本を代表する料理人だ。

この日は翌月のメニューを説明。旬の食材にこだわる菊乃井では月ごとにメニューを変えている。10品以上の料理は全てまず村田が作り、ポイントを料理人たちに伝えている。

村田が赤坂の一等地に店をオープンさせたのは2004年。その際にこだわったのが、普通の人にも手の届く料金だった。

「普通の人が普通に働いても食事に来られないような料理屋は、特定の人のための施設。若い方などいろいろな人に来ていただき喜んでいただきたい。日本料理に親しんでいただきたい」(村田)



料理は科学~七つ星の料亭が生れるまで

村田は3代目を継ぐ長男として生まれ、特別な教育を受けて育った。小さな頃から最高の味に慣れ親しむ日々。修業期間は3年だけ。その後、親から資金を借りいきなり自分の店を開店。「とにかくやってみろ」という帝王学だったが、「来るだろうと思ったら誰も来ない。天ぷらを揚げることも格好だけで、分からないまま焼いたり揚げたりしていた。ロクなものはできません」(村田)。

ここで村田は一念発起。閑古鳥がなく店でありとあらゆる料理本を読み漁り、あることに気づく。日本料理の本の説明は、「一口大に切って、うす塩を振って、さっと湯がく」といった曖昧な表現ばかり。一方、フランス料理などの本には、食材の量や、調理の時間など、すべての工程が具体的に書かれていた。

「フランス料理の料理人に聞くと、ソースの作り方も論理的に説明できる。カンや経験よりも、何度でどうすればどういう反応が起きると、科学の分野に近いことを言う。意識の改革が必要だと思いました」(村田)

そこから村田は様々な料理の研究に没頭する。それは調理の方法にとどまらず、味や香りがどうやって生まれるかを解き明かす科学の分野にまで及んだ。

「料理はすなわち科学です。料理を科学的な目で見ないと進化はないですよ」(村田)

科学の導入で村田の味は磨かれ、店は繁盛店になっていく。菊乃井は2010年、ミシュランで合計七つ星に。村田は日本を代表する料理人となった。

料亭の味を食卓へ~日本料理は絶滅危惧種?

村田の料理改革は自分の店以外にも及ぶ。村田は家庭にも本格的な日本料理の味を届けたいと、調味料などのネット販売を行っている。

菊乃井が最近発売したばかりのスッポンスープ。材料のスッポンは、自然豊かな愛媛県宇和島市の養殖場「水幸苑」で育てられた3年もの。餌は鯵のすり身など無添加にこだわり、高価な高麗人参も混ぜている。商品化に5年をかけた、菊乃井の自信作だ。

こうした味を家庭に届ける理由は、「結局、帰ってくるところは自分の民族的な食べ物しかないでしょう。それをおろそかにして、次の時代に残していかないのは、犯罪に近い」(村田)と言う。

 スタジオ収録の前日、村上龍は「我々は日本料理は昔からあって、今もあって、これからもあると思っている。でも村田さんはそうは思っていない。一番の特徴は、和食の危機を訴えていること」と語っていた。

和食は3年前、ユネスコの無形文化遺産に登録された。実はその際、ユネスコに働きかけたのも村田。快挙の立役者なのだが、「皆さんは勘違いなさっている。文化の遺産登録ですからね。絶滅危惧種に近いですよ、ということ。和食がおいしいから、という話ではない。自分たちの文化形態を守らないと、将来、大変なことになる」と言う。

強い危機感を持つ村田は、既に動き始めている。その一つの手段が和食の海外進出だ。

世界の食通が賞賛~日本料理が驚きの変化

去年、イギリス・ロンドンにオープンした日本食レストラン「トキメイテ」。JA全農が経営にあたり、村田がプロデュースを任された。

売りモノは上質な和牛。2年前に解禁となったEUへの和牛輸出。ヨーロッパではまだまだ馴染みのない和牛をここから広めようとしている。

この店で村田は今回、あるイベントを企画した。和牛の料理とサントリーのウィスキーのコラボ。スコッチの本場で普段ステーキを食べているイギリス人に、ジャパニーズウイスキーと和牛であっと言わせ、和食に目を向けさせたい。

イベントの料理は村田自ら作る。使うのはA4ランクの黒毛和牛。この肉に合わせるソースに村田が用意したのはイチジク。

八丁味噌の旨みは長期熟成によってアミノ酸と糖が反応し生まれる。村田はイチジクに含まれるタンパク質や糖に熱を加えることで同じ反応を引き起こし、八丁味噌に似た味を作り出したのだ。さらに取り出したのはバニラ。

「醤油の中にはバニリンという香り成分が入っているんです。醤油の発酵過程で出てくるバニリンを、バニラを入れて補う。和のテイストのソースのほうがいいでしょう。それでイチジクから八丁味噌ができるんです」(村田)

作っていたのは味噌テイストのソースだった。

「味噌がどうやってできるか、科学的にわかっている。カツオも昆布も味噌も醤油もないところで、『無理です』と言ったらそれで終わりです。全然モノがなくても、日本料理の料理人である限りは日本料理を作らないとダメじゃないですか」(村田)

現地にある食材で、科学の知識も駆使して和の味を創造。村田ならではの「味噌風イチジクソース」だ。

午後7時、イベントに参加する情報通のお客が集まった。お客の中にはグルメ評論家もいる。その評価は今後の和牛、そして和食を左右し兼ねない。勝負をかけた味噌風イチジクソースの和牛ステーキが配られた。

最初は驚き、そして笑顔になった客たち。村田も確かな手応えをつかんだ様子だ。

“見て盗め”はもう古い~「菊乃井」の人材育成術

京都のメインストリートの一つ、祇園の花見小路通。若い女性や外国人観光客が目立つ観光スポットだ。そんな街の喧騒から一歩離れた場所に、菊乃井の京都・本店はある。

厨房では総勢29人の料理人たちが一心不乱に働いている。ただし、上の人には物も言えない料理界の堅苦しい上下関係はここにはない。「総料理長と外国人の研修生が一緒に仕事をする店はうちぐらい」と、村田は言う。

もちろんそれぞれの役割はあるが、できることはみんなでやる。これが菊乃井のやり方。こんな体質だから村田流・人材育成法も他とはちょっと違う。

新人の岡田治倫、20歳。今年の春、調理師学校を卒業し菊乃井に入社した。現在の役割は魚の鱗や内臓を取り除く下処理。その作業に目を光らせるのは先輩の古谷望、23歳。菊乃井ではこのように、先輩が新人の専属コーチとなり、マン・ツー・マンで基本を教え込んでいく。

「ささら」という魚の内臓を取り出して綺麗にする道具の使い方を指導。道具の持ち方など、細かいところまで丁寧に教えてくれるから、新人は最短距離で前に進める。

「勉強したくて店で働いているので、先輩が丁寧に教えてくれるのはありがたいですね」(岡田)

このシステム、実は教える先輩にもプラスになる。

「分からないと言うと、先輩として威厳が保てないので、勉強は常にしておかないと。自分のためにもなるし、若い子のためにもなる」(古谷)

朝の仕事が終わった岡田は、新人たちの仕切り役の料理人の元へ。賄いのメニューの相談だ。菊乃井では賄いは新人が作る。この日のメニューは筑前煮に。お客の料理を作れない新人にとって、賄い作りは一番の修行の場。ここで日本料理の知識や技術を実践的に身につけるのだ。

出来上がった筑前煮をコーチ役の古谷がチェック。そしてここからがドキドキ。村田の試食が待っているのだ。

賄いの仕事を終えた岡田は休憩時間、時間を惜しむように事務所に向かった。そこにあったパソコンで見始めたのは、菊乃井大全集というファイル。中には菊乃井で出されている全ての料理のレシピが入っている。

例えば「サワラ鍋」のレシピの欄を見ると、材料の種類とその正確な量。さらには調味料の量や作る際の調理時間まで明確に記されている。菊乃井のスタッフなら誰でもこのレシピが見放題。つまりやる気さえあれば、村田の味がいくらでも覚えられるのだ。

岡田の将来の夢は「自分の店を持って、星つきのレストランにすることです」と言う。

~村上龍の編集後記~ 

優れた料理人には独特の雰囲気がある。修業時代の苦労の痕跡がなく、威張ることもなく、事業展開に対しては慎重だが、フットワークは軽い。考えてみれば当然だ。

自他共に認める才能と実績があるので威張る必要はなく、慎重な熟考が、軽快な行動に結びつく。

村田さんには「和食を世界に」という目標がある。今や世界は「遠い海の向こう」ではない。料理に限らず、世界水準を目指さなければ国内でも衰退する。

和食は、遠からず、文学や映画や美術や音楽と同じように、国を象徴する文化となっていくだろう。

<出演者略歴>

村田吉弘(むらた・よしひろ)1951年、京都の老舗料亭「菊乃井」の長男として生まれる。立命館大学卒業後、名古屋の料亭「加茂免」で修業。1993年、株式会社菊の井代表取締役社長に就任。2004年、「赤坂菊乃井」開店。

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