「築地市場をすっ飛ばす!」超速で三方よし!鮮魚流通革命・羽田市場/読んで分かる「カンブリア宮殿」

大人気「朝獲れ」~全国で朝獲れた魚が夕方には東京に

高層マンションが隣立する人気の住宅地、神奈川県・武蔵小杉。そのビルの一角に、今年のお正月、長い行列ができていた。

東京と神奈川で9店舗を展開する回転ずしの「活美登利」グランツリー武蔵小杉店。安くて美味しいと評判だが、客にはさらにお目あてがあると言う。

それは突然始まった。鐘の音とともに、「本日入りました最高鮮度の商品でございます」という店員の声が響く。

最高鮮度の商品の正体は、九州の宮崎で揚がった天然のマダイ。その日の朝揚がったばかりの「朝獲れ」だ。普通の鯛よりコリコリした食感が楽しめると言う。この活きのいい握りが二貫で一皿300円。やはりその日の朝、東京・八丈島で揚がったキンメダイは一皿400円。「朝獲れ」の魚の握りは早い者勝ち。あっという間になくなった。

「朝獲れ」の魚は羽田市場から来ていた。通常、東京で出回る魚は築地市場経由で入ってくる。この巨大な築地市場を、羽田市場はすっ飛ばしているのだ。

その市場は羽田空港の中にあった。貨物ターミナルの倉庫の一角、ベンチャー企業が運営しており、開設されたのは一年半前。取扱量は増加の一途だという。現在、全国55か所の漁港から、その日の朝に獲れたおよそ200種類の魚が毎日ここに届いている。

北海道北東部の町、紋別。朝4時半のオホーツク海では、仕掛けておいた定置網に魚がどっさりかかっていた。羽田市場が狙っていた魚はカレイだ。

鮮魚の流通革命、「朝獲れ」の仕組み

北海道はカレイの水揚げ日本一。中でも紋別のカレイは味がよく「紋別カレイ」というブランドにもなっている。クロガシラガレイは身が柔らかくて美味しい、紋別カレイを代表する一つだ。

朝6時、船が港に帰ってきた。通常ならここで競りにかけられるが、クロガシラガレイはそのまま箱詰めされトラックに積み込まれた。紋別漁港を出発、向かった先は空港だ。鮮魚の流通は通常陸送だが、羽田市場はその常識を覆し、空輸している。

午後1時45分、カレイを載せた飛行機は東京に向けて飛びたっていった。羽田空港に降りたったのは2時間後。空港内の貨物ターミナルにある羽田市場に到着。オホーツクの海からはるばる1000キロ。その日のうちにクロガシラガレイが着いた。

休む間もなくカレイは他の魚とともに箱詰めされる。羽田市場では一匹売りはせず、商品は「超速鮮魚ボックス」という詰合わせのみ。中身は日によって違うが、6キロの魚が入り一箱1万800円。このセットが1日平均1000店舗にスピード配送されている。

午後5時過ぎ、紋別のカレイが羽田市場を出発。そして午後6時、到着したのは銀座の海鮮居酒屋「魚然」銀座八丁目店。紋別で水揚げしてからまだ12時間だ。

届いたカレイはそのまま刺身になった。カレイは足が早いので煮付けや唐揚げにすることが多いが、「朝獲れ」だから刺身で食べられる。

通常の流通では、魚は水揚げされてから陸路で地方市場、中央市場を経由して店舗に入る。客が口にするのは3日目の魚。一方、羽田市場はその日揚がった魚。鮮度で大きな差がつくのは明白だ。



スーパーにも登場の「朝獲れ」~獲った魚を高く売る方法

新たな流通の仕組みで注目を集める羽田市場。トップのCSN地方創世ネットワーク社長、野本良平はこの日、秋田の漁港に来ていた。人だかりの中で野本がやっていたのは魚の締め方講座。血抜きした魚の神経の抜き方を漁師に指南していた。

まず頭に穴を開けておき、お尻からエアーを吹き込む。すると神経が出てくるのだ。

「神経が残っているとATPという旨み成分が消えてしまう。神経を抜くと旨み成分が溜まったままになるので」(野本)

あまり知られていない神経抜きだが、やっておくと魚の旨味が保たれる。漁師たちは魚を獲ることに関してはプロだが、締め方などは意外と詳しくないのだと言う。そこで野本はこうした講習会で、魚の商品価値を上げる方法を教えているのだ。

「もうたくさん獲る時代ではない。獲った1匹をいかに高く売るかを、漁師さんが自ら考えて手間をかけてやっていく」(野本)

日本の水産業は、水揚げ量の減少、価格の下落、燃料費の高騰と、三重苦に喘いできた。沿岸漁業の漁師たちの平均年収はおよそ280万円。これを上げていかなければ水産業の未来はないと、野本は考えている。

「うちは市場の最高値に合わせますよ、と。その代わりいいものを出してください。変なものを出したら二度と買わないくらいの、緊張感のある取引ですね」(野本)

緊張感のある取引。その証は配達する箱にもあった。箱の蓋にはシールが貼られている。そこには魚の水揚げ港に加え、生産者の名前、漁法まで明記しているのだ。

「誰がいつどこでどのように獲った魚か、消費者にも付加価値として提供する。手を抜いたらお客がつかなくなる。我々の目指すのはそんな“三方良し”の関係です」(野本)

羽田市場の魚が食べられるのは飲食店だけではない。都内のスーパーでも扱っているところがある。大田区の「プレッセ田園調布店」にある羽田市場のコーナー。そこに並んでいたのはアヤメカサゴにシマガツオ。東京ではまず見かけない魚だ。お客の方も心得ていて、羽田市場の魚が入る時間に合わせて買いに来ていた。

バイヤーの並木佑二さんは「地方に行かないと鮮度上、絶対に食べられない刺身が東京でも味わえる。大変ご好評いただいています」と言う。

「こんな魚が手に入るなら」と、取引する飲食店は増える一方。開設から1年と少しで5000店を超えた。

国交省も口説き落とした「朝獲れ」鮮魚の仕掛け人

早朝の長崎県対馬。漁船の上には野本がいた。野本は全国を飛び回り、契約している漁師の船に年間100日、乗っているという。「船の上で魚の品質の8割は決まる。どんなすばらしい冷蔵設備だとか、すばらしい氷を使っても、元がダメだったらダメ」だからだ。

この日乗り込んだのは、羽田市場が開設した当時から取引している久保幹太さんの船。定置網にかかっていたのは最盛期を迎えたスルメイカだ。 

体が柔らかく傷がつきやすいスルメイカは、網で少しずつすくって漁船に移す。漁師さんが道具で口を引っこ抜いた。「イカがかたまっていると、墨を吐いてイカ同士がかみ合って傷だらけになる」(久保さん)からだ。イカに傷がつくと売値が下がってしまう。少しでも価値を上げるために、野本と一緒に考えた方法だ。

野本も同じ作業を同じように行う。年間の3分の1をこうやって過ごすことで、漁師たちの信頼を得てきた。 

野本は1965年、千葉県船橋市で4人兄弟の末っ子に生まれた。実家は業務用の食材を問屋から仕入れて卸す二次問屋。高校を卒業後、家業を手伝ったが、「街中のレストランや給食センターに食材を納める業者でしたが、上に一次問屋がいて、二次問屋は一次問屋から仕入れた商品を売るので、非常にジリ貧な会社でしたね」(野本)と言う。

40歳を過ぎて千葉県内の回転寿司チェーンに就職。この時、千葉の房総で揚がった魚をその日のうちに出す「朝獲れ魚」のアイデアを思いつく。しかし、「忙しいチェーン店だったので、『朝獲れ』の魚が夕方に届いても、古いネタから順に売るという習慣もあって、そこではうまくいきませんでした」(野本)。

2年後には、「塚田農場」など様々な業態の居酒屋を展開するAPカンパニーにヘッドハンティングされる。野本がここで立ち上げたのが鮮魚居酒屋「四十八漁場」。売りは全国の漁港で揚がった新鮮な魚。「朝獲れ」の魚を提供する羽田市場の原形となった店だ。

この成功の鍵を握ったのが鮮魚の仕分け場。全国の魚を一箇所に集めることで、各店舗により早く配送する新たなビジネスを生み出した。

その仕分け場は羽田空港から7キロという場所にあった。しかし、これだと空港で魚をピックアップし仕分けするまでに2時間かかった。もし空港の中に仕分け場があれば効率は飛躍的に上がる。野本は新しい流通システムを作るべく、所管の国土交通省に掛け合うが、最初は門前払いされたと言う。

「地方創生の第一歩は、地方のいいものをいい状態で東京に持ってきて高く売ること。何回も説明にあがって……」(野本)

交渉を始めてから1年あまり、野本はついに国交省を口説き落とした。羽田空港内に「羽田市場」の開設を成し遂げたのだ。

客が漁師さんを指名?こうして漁業を活性化する

国交省の他にも野本が口説き落とした人たちがいた。漁師さんたちだ。

宮崎の漁師、古谷哲啓さんはいち早く契約をした一人。最初は疑っていたが、一緒に酒を飲んで「信用できると思うようになった」という。

「『古谷さんも儲かって、私も儲かって、それがウィン・ウィンだ』と、この人はうまいことを言うなと思って、それなら一緒にやろうということになった」(古谷さん)

時には朝まで酒を酌み交わすことも。野本は徹底した現場主義で、およそ300人もの漁師を口説いてきたのだ。

秋田県男鹿市。ここにも新たに羽田市場と契約を結んだ漁師がいる。三浦幹夫さんは元海洋高校の教師で、退職後、2年前から漁師になった。

「私が勤務していた海洋高校の卒業生でも漁師になるのは数パーセント。男鹿市は高齢化が進んでいるので、対策を練っていい方向に持っていければと常々思っていました」(三浦さん)

秋田県の漁師はおよそ1000人。その半数以上が65歳以上の高齢者だ。自分がもっと稼いでみせれば、若い漁師も増えるかもしれない。そんな思いから三浦さんは契約した。

漁法はキラキラした疑似餌、ルアーを使った曳縄釣り。獲れる量は少なくなるが、この方法なら魚が傷つきにくく高く売れる。この日はイナダとサワラ、合わせて15匹が獲れた。獲った魚はその場で血抜きし、神経締めもやっておく。

5時間後の羽田空港。三浦さんが最初に送ってきた魚が届いた。野本の評価は「血が抜けているので色も白い」「純粋にイナダの味。身の味がしっかりと感じます」と、申し分なし。さっそく三浦さんに電話をかける野本。最初の出荷の際に、野本は必ずその魚をチェックし、結果を漁師に伝えるのだ。

「漁師は全国に16万人いるが、その8割は三浦さんのような個人でやっている人。評価してくれる客が『この漁師のこの魚がほしい』となれば、どんどん値段は上がる。漁師さん同士が切磋琢磨して勝負してほしい」(野本)

「羽田市場に出荷して魚にはっきりした値段がつけば、『それじゃあ我々もやろう』と絶対になります」(三浦さん)

有名寿司店が続々来店~築地の目と鼻の先に魚屋

新年早々、東京・銀座に現れた羽田市場。ここで新たな戦略が始まると言う。

「銀座の料飲店組合から魚がほしいという話をいただいて」出店した、羽田市場の直営店だ。銀座の飲食店向けだが、午後3時からは一般客にも解放する。並んでいるのはもちろん「朝獲れ」だ。

「北海道も九州も、漁師さんに自信のあるものだけを出してもらっているので、銀座のどんな一流店でも納得していただける自信があります」(野本)

開店すると、ほどなくお客がやってきた。築地市場の取引が終わるタイミングに合わせて店を開け、足りない魚を選んでもらう。銀座の飲食店は夕方からの営業が多いので昼以降もじっくり買えるようにした。

 プロの料理人から見て、ここの魚はどのように映るのか。築地「越後寿司」の板前は「これはプロが見たらみんなすごいと思うよ。ハッカクなんて普通ない。築地にもないんじゃないの」。築地に店を構えて90年、「築地玉寿司」の中野里陽平社長も「こういうお店ができたことは嬉しいですね。思わず買っちゃいました」と、北海道・増毛産の活きボタンエビを手にした。

銀座の一流店も認める魚を誰でも買うことができる。野本は今後もこうした店を増やしていくつもりだ。

「旬は何かとか、こういう使い方がいいよ、煮魚にしなということを、今まで魚屋さんが教えてくれていたのが、そういうのがなくなったので、我々がそういう立場で、お客様に旬の美味しい食べ方を提案したり、そういうことをやっていきたいですね」(野本)

 スタジオで、このまま取扱量が増えていったら飛行機に載らなくなるのがネックという野本。村上龍は「いつごろ専用機を買うのか」と聞かれると、「ほしいですね」と答えた。

~村上龍の編集後記~ 

羽田市場の流通システム、野本さんの、シンプルかつ正統な考え方と行動が不可能を可能にした。

1年の3分の1、漁師さんの船に乗る。現場から学び、同時に知識を現場に伝える、そのやりとりが、流通システムに反映されている。

だから他社がシステムだけを真似しようとしても、できない。

高卒後、お金も目標もモチベーションもなかったフリーターの青年が、明確なターゲットを得て、強さを発揮し続けている。

燃料満タンで、ほとんど走っていない車のようなものだ。

野本さんは、いつか必ず百機の飛行機の便を確保するだろう。

<出演者略歴>

野本良平(のもと・りょうへい)1965年、千葉県生まれ。高校卒業後、実家の業務用食材卸会社に入社。2006年、回転ずしチェーン銚子丸入社。2008年、APカンパニー入社。2014年、CSN地方創世ネットワークを設立。