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豊洲市場、ようやく安全宣言。小池劇場「延期」の茶番で38億円が無駄に

豊洲市場が来月10月11日に開場することを受け、小池都知事が安全宣言を出しました。そもそもの発端を振り返りながら、移転延期が生んだ大きな代償を考えます。(『らぽーる・マガジン』)

※本記事は、『らぽーる・マガジン』 2018年8月6日号の一部抜粋です。ご興味を持たれた方はぜひこの機会に今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。

豊洲移転の背後には「触れてはいけない」部分がたくさんある…

豊洲移転「延期」問題とはなんだったのか

東京築地市場の豊洲への移転をめぐる問題で、専門家による会議が豊洲市場のオープンの前提となる追加の対策工事の安全性を確認したことを受けて、東京都の小池知事は7月31日夜、「安心、安全な市場として開場の条件を整えることができた」と述べ、豊洲市場の安全宣言を行いました。

これで豊洲市場は、来月10月11日のオープンに向けて大きく動き出すことになります。

当初の移転時期から遅れること2年、その結果、延期に伴う業者への損失補てん安全対策追加費用などの出費がかさみ、さらに東京オリンピック・パラリンピックでの道路整備計画が大幅に遅れ、ルート等も含めた修正を余儀なくされました。

小池都知事就任時の移転延期問題は、いったいなんだったのでしょう。

築地市場移転の発端は「不便」と「耐震」

築地市場は1935年(昭和10年)に開場し、ずっと東京の台所の役目を担ってきました。「新鮮な魚介類は築地」というブランドもでき、場外の飲食店も人気があり、海外観光客にも人気のスポットとなりました。

長年かけて「築地ブランド」を確立してきました。

開場当時は鉄道搬入前提としていましたので、トラック輸送での不便さが目だってきました。手狭になったのです。

建物の老朽化も進み、耐震化工事も困難で、ネズミや虫などの衛生面での心配も出てきました。

実は1970年代頃から移転の話は出ていました。ただ費用がかさむこと、移転先としての適当な候補地の問題、また長年培ってきた「築地ブランド」の問題もあったのでしょう。

移転がなかなか実現せず、一旦はいまの築地市場のままでいこうということから、1991年から改修工事が行わることになりました。

ところが、費用と工期が莫大なものになると判明し、1995年に中断されました。

同様の計画が1999年に出たものの白紙となり、2001年に江東区豊洲への移転が決定しました。

築地移転断念を決めたのは鈴木俊一都知事四期目のときでした。そして豊洲移転を決めたのは、石原慎太郎都知事一期目のときでした。

Next: 移転先は「東京ガス工場」の跡地。この決定がそもそも問題だった…

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