大躍進!ららぽーと&都市開発~デベロッパー王者の飽くなき挑戦!/三井不動産/読んで分かる「カンブリア宮殿」

名古屋で沸騰~行列のできるショッピングセンター

9月28日、名古屋市の郊外に、愛知県初進出の「ららぽーと名古屋みなとアクルス」がグランドオープンした。オープン前には150メートルの行列ができ、午前9時半に扉が開くと、大勢のお客がなだれ込んだ。

そこはおなじみのファストファッションやスーパーマーケット、さらにブランドショップなど217店舗がひしめく、国内最大規模の巨大ショッピングセンター。217店舗中、49店は愛知県初出店。名古屋にはなかった店が客を呼んでいる。

フードコートも大盛況。揚げたてを振る舞っているのは東京・日本橋の名店「日本橋 天丼 金子半之助」。ごま油でカラッと揚げた巨大な天ダネが丼からはみ出す「江戸前天丼」(1296円)など、東京でも行列の人気店だ。

フードコートも10店舗中7店が愛知県初出店。日本橋の行列店「日本橋 海鮮丼 つじ半」の海鮮丼、「肉問屋 あさひ屋」のお値打ちステーキセットも人気だ。

地元の人気店ももちろん入っている。名古屋コーチンのもも肉を炙り、さらにコーチンの卵でとじる「極上名古屋コーチン親子丼」(1280円)は地元の名店「一鳳」の逸品。「エイトパークカフェ」は愛知県内でファミリーに大人気のビュッフェスタイルのカフェ。屋内にいながらテントで食事をとれるから、アウトドア感覚が楽しめる。

ららぽーとの名古屋店はオープン初日だけで8万人を集客。その敷地面積は地元ナゴヤドームの6個分。大きな新名所が名古屋に誕生した。

そんな「ららぽーと」を全国に仕掛けているのが東京・日本橋に本社を置く三井不動産。その前身は1673年に生まれ、社員はグループ全体でおよそ1万8000人。三井不動産はマンションなどの不動産を販売するだけでなく、商業施設や町そのものまで作り出すデベロッパーだ。売り上げは1兆7500億円。大手デベロッパーの中でもナンバーワン、業界のトップを走っている。

そんなガリバー企業を率いる社長の菰田正信(64)は「ららぽーと」の人気の理由を「お客様のニーズの変化に合わせてショッピングセンターを進化させていく。今のお客様のし好にジャストフィットしたショッピングセンターであり続ける」からだと言う。



驚異の集客術~「ららぽーと」強さの秘密

三井不動産にとっても稼ぎ頭でドル箱施設となっている「ららぽーと」。その強さの秘密を千葉県船橋市にある1号店「ららぽーとTOKYO-BAY」で見てみよう。

目につくのが3世代で来ているお客の多さだ。

橋本さん一家も祖母、母親と子供たちの3世代でやって来た。最初に入ったのは「アカチャンホンポ」。ここで祖母が孫たちにプレゼントを買ってあげる。女の子が選んだのはかわいい髪留めのアクセサリー。2歳の男の子はお風呂で遊べる怪獣のおもちゃを選んだ。

母親といったん別れて、祖母と孫たちが向かった先は、子供たちでにぎわう「船の広場」。大きな帆船をモデルにしたアスレチックだ。こうした遊び場があるのも「ららぽーと」の特徴。お金を使わず、めいっぱい遊ぶことができる。「ららぽーと」では様々なショーや大人が楽しめる無料イベントなども行われている。

その頃、母親はショッピングに夢中。束の間の自由な時間を満喫した。母親が子ども達と合流すると、今度は祖母が美容院へ。「ららぽーと」の中には複数の映画を上映するシネコンやマッサージなども入っていて、時間を潰すのには困らない。

橋本さん一家は最後に夕飯のお買い物。滞在7時間、丸一日「ららぽーと」で過ごした。

この船橋店は1981年にオープンした。その売り上げは37年間上がり続け、今やオープンした年の7倍に。三井不動産は周辺に広大な土地を持っており、売り場面積はオープンした時の4倍、店舗の数は200から440まで増やしている。

もう1つの強さの秘密は、テナントの入れ替えで客を飽きさせないことにある。

店舗運営を担当する三井不動産商業マネジメントの河田広軌が案内してくれたアパレルショップが集まるエリアでは、去年、6店舗のうち半分が入れ替わっている。客を飽きさせないよう、ニーズに合わせ、定期的にテナントを入れ替えている。

河田がテナントの1つに入っていき、「売り上げを改善していくために考えていることはありますか」と、問いかけている。こうやって足しげく店を回りテナントと一緒に考え、売り上げアップに努めているのだ。

一方、市場もオープンした東京・豊洲。「アーバンドックららぽーと豊洲」の地下駐車場を見てみると、買い物を終えてカートを押した客が、別の建物にそのまま入っていった。

実は豊洲の「ららぽーと」は隣のマンション「パークシティ豊洲」と地下通路で繋がっている。マンションは3棟あり全部繋がっているから、住民は常連に。商業施設とマンション、両方作れる不動産会社の強みだ。

「隣にマンションを造ることによって街もどんどん広がりを見せ、商圏が生み出されていきました」(営業施設本部・永見彰)

ほとんど何もなかった埋め立て地に「ららぽーと」ができると、街は劇的に変わり、人気エリアとなった。今では地下鉄・豊洲駅の乗降者数は表参道駅や六本木駅を上回る。



来年オープン~「ららぽーと」建設の現場に密着

現在、「ららぽーと」は全国に14施設を展開。15番目として来年の秋にオープン予定なのが駿河湾に面した静岡県沼津市だ。テナント数200店舗という巨大施設になる。

町には駿河湾の自慢の海産物を使った飲食店がひしめく。中でも指折りの人気店が「魚河岸丸天」。名物はエビや貝柱がたっぷり入っている「海鮮かき揚げ丼」(1188円)だ。

その「丸天」に向かったのが、三井不動産商業施設営業部の内村竜也。待っていたのは社長の早川愛宮美さんだ。何とかテナントに入って欲しいと10回以上の交渉を経て、契約したばかり。この日は「ららぽーと」で出すメニューの打ち合わせだ。

丸天の海鮮丼の売りはボリューム。ご飯は350グラム。内村は「フードコートのご飯の量は250グラムがいい」と、減らすことを提案。お年寄りや女性客が多い「ららぽーと」では小さなサイズの方が適していると言う。

だが名物のタワーのような「かき揚げ丼」は「形の大きさとボリューミーなところが売りなので、変えたくないな」(早川さん)と言う。話し合いの上、「かき揚げ丼」は今のまま出すことに。「ららぽーと」でも話題になりそうだ。

営業部隊が沼津のららぽーとに入るテナントを探すために回った店は300軒以上。そんな中で、商業施設営業部の増山茂は「沼津港深海水族館」に。来年開業する「ららぽーと」に幅9メートルの大水槽を作り、深海魚を泳がせて、施設のシンボルにしたいと言う。

展示する深海魚は水族館の館長、佐藤真一郎さんが手配してくれる。

「どうせやるならどこにもないものをつくりたい。魚を見ながら食べられるのはお客さんにも魅力的なので」(佐藤さん)

個性的な「ららぽーと」がまた1つ、産声をあげる。



超高層ビル&巨大商業施設~「日本初」に挑む三井不動産

三井不動産の設立は1941年。以後、様々な「日本初」を作り続けてきた。

日本初の超高層ビル「霞が関ビル」。ここから超高層ビル時代が始まった。竣工した1968年当時、周りに肩を並べるビルは何もなかった。日本初の高層マンション「三田綱町パークマンション」(1971年)も三井。タワーマンションはここから始まった。この時のキャッチコピーは、「空に住まう」だった。東京ディズニーランドの開業を大きく後押ししたのも三井。さらに日本初のアメリカ型ショッピングセンター「ららぽーと」や、日本初の本格的アウトレットモール「三井アウトレットモール大阪鶴見」も誕生させた。

時代を代表する施設を次々と作ってきた三井不動産が今、変えようとしている町がお膝元の東京・日本橋だ。

三井不動産は日本橋と共に歩んできた。もともと日本橋は大きな問屋や商店が集まっていた日本の商業の中心地。ここで1673年、三井高利が開業した「越後屋」が、三井の始まりだ。

日本橋は戦後もオフィス街として発展。三越や髙島屋など老舗百貨店が人を呼び、銀座と肩を並べる人気の町にもなった。しかしバブルが崩壊すると、百貨店の客離れが進み、日本橋は冬の時代へ。1999年には東急百貨店日本橋店が閉店した。

そんな街に「再び賑わいを」と三井不動産は動き出した。

「“日本橋再生計画”を推進しているのですが、残しながら、よみがえらせながら、つくっていこう、と」(菰田)

まず東急百貨店の跡地に2004年、「コレド日本橋」を開業させ、その後も「コレド室町」をはじめ、日本橋ならではの江戸情緒を色濃く残す新名所をつくり続けている。2004年に始まったこのプロジェクトは20年計画。新たな商業施設やオフィスビルを次々とつくることによって、企業や人を呼び込んでいる。

一時は閑散としていた日本橋の週末はにぎわいを取り戻した。

日本橋のオフィス街にあるお蕎麦屋「薮伊豆総本店」は明治から続く創業から136年の老舗。店内には若いお客の姿も目立つ。

「20年前は歩いていてすれ違う人がいない時もありました。ほとんどが“おじさま、おじいさまの店”だったのが、最近は若い方、特に女性が多いですね」(女将の野川雅江さん)

1737年創業と、徳川吉宗の時代から続く乾物屋さん「八木長本店」の9代目社長、西山麻実子さんは三井の再開発について「日本橋が『和の街』というイメージをうまくつくり始めた気がします。やはり小さい店が並んでいてこそ街歩きの楽しみがある。それをうまく残しながら、ビルを建てていただければと思います」と言う。

では、三井不動産が日本橋によみがえらせたものとは…それが日本橋のど真ん中に鎮座する「福徳神社」だ。戦後の都市開発でビルの屋上などに追いやられていた神社を、三井不動産が敷地を確保し再建した。

「日本橋エリアにいる方が一緒にできるお祭りがないからやろうと、2年前に始まりました」(日本橋街づくり推進部のリーダー・七尾克久)というのは「神幸祭」。神社をよみがえらせたことがきっかけとなり、祭りが始まり、街に一体感が生まれたと言う。

祭りには法被姿の「千疋屋総本店」の大島博社長や「にんべん」の髙津克幸社長の姿も。地元の老舗企業も祭りに賛同している。

「いろいろな企業さんがいらっしゃいますが、全部が1つになった感じで、お祭りは素晴らしいと思います」(「繁乃鮨」佐久間一郎社長)

「ここが潤いの場所になって、みんな喜んでいます。日本橋の街は今、どんどん発展しています」(日本橋一之部連合町会会長・涌井恭行さん)



東京・秋葉原から30分~日本初のスマートシティ

10年ほど前はゴルフ場くらいしかなかった千葉県柏市のはずれの土地が、今は高層ビルが立ち並ぶ近代都市になっている。三井不動産が丸ごとつくった街、マンションやオフィスビル、さらには大学の研究施設もある「柏の葉キャンパス」だ。

ここは日本初となるスマートシティだ。スマートシティとはエネルギーを上手に使う街のこと。ビルには太陽光パネルがつけられ、生まれた電力は三井不動産のスマートセンターで管理。いろいろな施設で時間に応じて融通し合い、より良い環境を守っている。

さらに三井不動産は「賢く暮らし、賢く働けるスマートシティ」をテーマに掲げた。

例えばタワーマンションには便利な工夫が詰まっている。両親とともに2歳の女の子が向かった先は、マンションの一角に作られた保育園。隣の流山市から誘致したもので、マンションの住民は100%入ることができる。共働きの夫婦にはうれしい施設だ。

ちなみにご主人は自宅から徒歩5分にある英会話スクールの講師。一方、奥さんもフルタイムでソフトウェアの会社に勤務しているが、在宅勤務が可能なのだと言う。マンションにはネット環境が整ったブースがあり、施設は無料で利用できるのだ。

さらにこのマンションの住人は、敷地内にあるフィットネスジムや天然温泉の大浴場も、無料で使いたい放題。マンションから屋根付きの通路を進んでいくと「ららぽーと柏の葉」があり、買い物にも便利だ。

そして「ららぽーと」に併設するビルで行っているのが「起業家」の支援。「KOILコワーキングスペース」を、オフィスとして格安で貸し出している。

「柏の葉スマートシティ」で起業した「ドローンワークス」の今村博宣さんが作ったのは、撮影用ドローン。屋内でも安全に飛ばせる設計で、目指すは東京オリンピックでの活躍だと言う。

「新しいこと、人がやらないことをやっていきたいと思いまして」(今村さん)

貸しオフィスは設備も充実。3Dプリンターやレーザーカッターも置いてある。

「日本は新しい産業が生まれにくいという構造的な問題を解決するために、柏の葉で新しい産業や起業家精神がある方を育成しようという取り組みです。シナジーを生んで、一緒にやっていけるのではないかと思います」(柏の葉街づくり推進部・大塚恵理香)

お堅いばかりではない。気楽に立ち寄れるお父さんたちの憩いの場、赤提灯の飲屋街も開発しているのだ。



~村上龍の編集後記~ 

挑戦し続ける、アグレッシブな巨大企業。沿革には「日本初の」という言葉が並ぶ。

最初に「ららぽーと」を開発したとき、リスクが大きいという指摘もあった。だが、リスクのないチャレンジというのは存在しない。リスクへの自覚があるから、リサーチを含む準備を万全に近づける。成功後も、「ららぽーと」には、人材・資源が投入され、集積されることで、強力なブランドとなった。

しかし巨大企業・組織が、挑戦者であり続けることは簡単ではない。「我々には満足という概念がない」という周知の徹底だけが、大企業病を免れる。

<出演者略歴>

菰田正信(こもだ・まさのぶ)1954年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、1978年、三井不動産入社。2009年、常務取締役就任。2010年、専務取締役就任。2011年、代表取締役社長就任。

(2018年12月6日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)