脱下請けで生き残った町工場!魔法のフライパン感動物語/錦見鋳造/読んで分かる「カンブリア宮殿」



料理が変わる!~人気沸騰、魔法のフライパン

東京・渋谷の「東急ハンズ」渋谷店。女性客が足を止め、フライパンに見入っていた。チャーハンの調理で実演販売中だ。「熱の伝わり方がすごくいいので、短い時間でパラッとできます。ご家庭で作るとご飯がダマになったりするでしょう」と言う。

このフライパンを使えば、中華料理屋に負けないパラパラチャーハンが簡単に作れるという。客から「何年もつんだろう」と疑問の声があがると、「私が自宅で使っているのは14年です」。このフライパンのキャッチコピーは「いつもの料理が感動の美味しさに」。その名も「魔法のフライパン」だ。

鉄の鋳物のフライパンで、1枚1万円(税別)もするが、年間1万7000枚が売れる大ヒット商品だ。

東京・中央区の伴枝里香さんは「魔法のフライパン」の熱烈ファン。発売された当初から18年も使い続けているというが、ほとんど傷もついていない。「鋳物のフライパンなのに軽くて、女性でも振れる。丈夫で使い勝手がよく、おいしい焼き色が付く」と言う。

例えばポークソテー。片面だけに粒胡椒をたっぷりつけて、胡椒をつけた面を下にして「魔法のフライパン」へ。蓋をして蒸し焼きにし、2分ほど焼いたらひっくり返す。確かにおいしそうな焼き色がついた。短い時間で焼きあがるので、よく見ると胡椒も焦げついていない。表面こんがりで、肉汁を閉じ込めるから中は驚くほどジューシーだ。

続いてアサリを炒め、料理酒を入れてアサリの酒蒸しに。鉄の鋳物は、貝殻くらいでは傷つかない。作り始めてわずか1分半で出来上がり。「魔法のフライパン」は蒸し時間まで短くて済む。だからアサリの身からうま味が逃げず、ふっくら仕上がると言う。

使用後は熱いまま洗える。「テフロンだと熱い状態で水をかけると劣化するので、温度が下がるまで洗えないんです」と伴さん。洗剤も必要なく、たわしでこするだけ。後は火にかけ、水分を飛ばせばOKだ。

「帰宅して30分位以内に2~3品作りたい時は、ありがたい味方です」(伴さん)

「魔法のフライパン」に惚れ込んだ伴さんは、友人に祝いごとがあると必ずプレゼントしているという。

「祝い事にすぐ壊れてしまう物は贈れないけど、使い続けられて、味が出てくる物は差し上げたくなりますよね」(伴さん)



驚異の厚さ1.5ミリ~鉄鋳物で料理がおいしくなる理由

「魔法のフライパン」を作ったのは、三重県木曽岬町にある錦見鋳造だ。

本社の奥の工場はすごい熱気で、冬でも30℃を超える暑さになる。創業58年を数える鉄の鋳物のメーカー。社員はわずか11人で、長年、工業部品などを下請けで作ってきた町工場だ。こんな小さな会社が、売れに売れている「魔法のフライパン」を作り上げた。

鉄鋳物の調理器具はどうしても重くなる。底の厚さは5ミリが限界とされてきた。その常識を覆し、厚さ1.5ミリという鋳物ではありえなかった薄さと軽さを実現した。例えば直径24センチのタイプなら850グラムと、アルミのフライパンとほぼ変わらない。

その製造工程も驚きに満ちている。ほとんどが職人による手作業だ。原料は鉄鉱石から作られた1つ10キロの鉄の塊。これを炉に入れ、熱すると液体状になる。温度は実に1500℃になる。

そこに不純物を取り除くための特殊な粉を入れる。溶けた鉄に入れると不純物とくっつき、固まって表面に浮かぶので、アクを取るようにさらえる。これで鉄の純度が上がるという。とんでもない熱気の中でこの作業をくり返していく。ここで入れるのが魔法を生む原料、炭素だ。成分に炭素が入ると、熱しやすく冷めにくい特徴が生まれる。

そして溶けた鉄を砂でできた型へ。型を2枚重ね合せにし、縦にして、隙間に一気に流しこんでいく。「鋳込み(いこみ)」と呼ばれる、経験と勘がものを言う難しい工程だ。

ポイントは流し込むスピード。1つにつきわずか2秒。それも穴の中心に入るように一気に流し込まなければならない。スピードが遅かったり、穴の中心からずれたりすると、鉄の温度が途中で下がり、均一に入らないのだ。

実はフライパンの鋳込みができるのはこの工場で1人だけ。それが「魔法のフライパン」をゼロから作った立役者、社長の錦見泰郎だ。半日ほど冷ました後で砂の型を壊すと、中からフライパンが現れた。錦見の鋳込みの成功率はほぼ100%だ。

「過去に調理器具を変えただけで料理がおいしくなる物はなかったんです。ない物を作りたい」(錦見)

なぜ「魔法のフライパン」は料理がおいしくできるのか。鉄の鋳物はステンレスに比べて熱伝導率が高く、同じ時間でより熱くなるのだ。サーモグラフィーを使ってフライパンの温度を数値で確認してみると、「魔法のフライパン」は36秒で200℃に達したが、ステンレスのフライパンは同じ200℃になるのに、2分30秒もかかった。

この熱しやすい性質によって、例えば鶏肉の皮はパリッと仕上がる。表面が素早く焼きあがるので、中のうま味も閉じ込められる。ステンレスの場合、肉汁が外に出てしまうことがままある。さらに、鉄の鋳物には炭素が含まれているため、遠赤外線効果が生まれ、肉の中心部までしっかり火を通すことができる。

もともとは下請けの町工場だが、「魔法のフライパン」を誕生させ、現在の年商は2億4000万円に。そのうち7割はフライパンが稼ぎ出している。

唯一無二のフライパンを作った錦見は、新たな挑戦も続けている。今、挑んでいるのが、「魔法の中華鍋」(錦見)。プロ向けの鉄の鋳物の中華鍋だ。そのスペックは前代未聞。直径は33センチとかなり大きめだが、それでも軽くしようと、今までよりさらに薄い、1.2ミリにしようとしている。

「まだ完全ではないんです、欠けたり割れたりしている」(錦見)

完成度はまだまだだが、難問に挑む錦見はどこか楽しそうだ。

「健康なうち、頭がはっきりしてるうちは続けたいと思っています。挑戦が終わった時は、人生、終わっていると思うので」(錦見)

下請けイジメを乗り越え~苦節9年、町工場の逆転劇

58歳になった今も鋳物職人として働いている錦見は、どんな思考を巡らし、「魔法のフライパン」を開発したのか。

「競争する意識はない。圧倒的なことをしないと『すごい』とは言われない。『ない物を作る』とは、そういうことじゃないですか」(錦見)

今までなかったものを作る。それは理想を追ったのではなく、ギリギリまで追い詰められた末に選んだ道だった。 

錦見鋳造は1960年に父・春夫が創業。その年に錦見は生まれた。自動車の部品を下請けで作る町工場。そんな家業を、錦見は物心ついた頃から好きになれなかったという。

「下請け仕事で真っ黒になって働いている親の姿は、格好良くはないですよね」(錦見)

ホワイトカラーの商社マンになりたいと大学を目指したが、3年連続で受験に失敗し、ついに断念。渋々、錦見鋳造に入社した。

ところが営業の現場で働き出すと思わぬ才能を発揮する。新しい取引先を次々と開拓し、下請けながら受注先は40社に。バブル景気もあり、売り上げはグングン伸びた。

しかし、バブル崩壊で仕事が激減。さらに1992年のある日、売り上げの6割を占める得意先に呼び出され、3割もの値下げを一方的に突きつけられた。「無理ですよ」と言う錦見に、担当者は「嫌ならやらなくていいんですよ。代わりはいくらでもいるので」と言い放った。

「もっと経営がいい時に言ってくるならいいですよ。どん底の時に言われたらお先真っ暗。悲しさ、悔しさ、怒り、全部でしたね」(錦見)

このまま廃業か。それともみんなの生活を守るために継続させるのか。そんな時、たまたま目にした新聞の社説が運命を変える。そこには「企業が生き残るためには、他社よりも3倍の技術力を生み出すしかない」とあった。

「他人がやらない3倍難しいことに挑戦して、達成できれば、価格競争に飲み込まれなくて済むんだ、と」(錦見)

錦見は値下げを要求してきた会社と決別し、自社商品の開発を決意。何を作ろうかと、ホームセンターを見て回った。そこで目を止めたのが鉄の鋳物の調理器具。薄くするのが難しく、厚さは5ミリが限界と言われていた。

すぐさま錦見は自分で鋳物の鉄板を試作。出来上がると、親戚の叔母が営んでいた喫茶店に持ち込み、「これを使ってお客に料理を出してみてくれ」と頼み込んだ。叔母は訳が分からないまま豚肉の生姜焼きをその鉄板で焼き、ランチを食べに来ていた常連さんに出した。すると客は「おばちゃん、肉変えた?いつもよりうまいよ」と言った。

「豚肉が縮まらないし、お客さんが『おいしい』と言うので、自信を持ちました。間違ってなかったな、と」(錦見)

調理器具でいけると確信を持った錦見は、最も身近なフライパンを作ろうと決める。

「3倍の技術力」として目標に定めたのは厚さ。鉄鋳物の限界と言われていた5ミリの3分の1の1.5ミリにすること。そんなフライパンは世界のどこにもなかった。

「『ない』ということはチャンスだと思います。類似品がないから勝機がある」(錦見)

こうして1992年、かつてないフライパンの開発が始まる。しかし壁は高く、出来上がるのは穴が空いたり欠けたりしたガラクタばかり。ポイントは火の強さと炭素などの成分配合。1℃、1グラムと、あらゆる組み合わせを試し、正解に近づけるしかない。

1回の試作には2日、原料費だけで20万円がかかる。収入が激減する中、3年間で2000万円が消えた。

転機は思いもしない形で訪れる。宅配業者がやって来て、荷物を受け取るため、作業場から離れた錦見。すぐに作業を再開したが、この時、すでに炭素を入れたことを忘れ、うっかり2回、入れてしまったのだ。捨てるわけにもいかず、ダメ元でその溶けた鉄を型に流し込んでみた。すると、穴がなく、欠けてもいないフライパンができたのだ。

「今までの既成概念が間違っていたことに気付かされたんです」(錦見)

しかし、この時のフライパンの厚さはまだ2ミリ。そこから目標である1.5ミリにするのにはまだまだ時間がかかる。それこそ、ほふく前進のように成功率を少しずつ上げ、スタートから9年後の2001年、ようやく完成。厚さは1.5ミリで重さは980グラム。世界のどこにもないフライパンだった。

発売すると、雑誌やテレビ番組に取り上げられ、百貨店に並ぶと注文が殺到。一気に品切れ状態となり、最大2年半待ちという大人気となった。

これで錦見鋳造も息を吹き返す。どん底時代は1億円を切っていた売り上げが3倍以上となった。

「代わりはいくらでもいる」。屈辱の言葉をバネに挑戦を始めた錦見は「自分だけのものづくり」を成し遂げたのだ。



魔法のフライパンを守る~悲願!10年越しの最新研究

9年もの時間をかけて世界になかった商品を生み出した錦見には、実はもう1つ、3億円を投じて作ったものがある。

錦見が自ら設計し、10年をかけて開発した「全自動鋳物フライパン製造機」だ。原料は炭素などを含む鉄の塊。これを穴の中にセットすると、電気で中が高温になり、鉄は溶けて液体状に。さらに炉の部分が立ち上がり、溶けた鉄が型の中に注ぎ込まれる。

この機械を使えば鋳込みから型から外す作業まで、わずか3分で完了する。だが、フライパンの出来はというと「60点か70点ですかね」(錦見)と言う。

10年かかったが、成功率は3%。自動鋳造機のフライパンは、未だ売りものになっていない。しかし、これが完成すれば生産量は一気に3倍になるという。

「アメリカ、中国、ヨーロッパへの進出を考えると、3倍ぐらいの生産能力がほしい。『3倍』にこだわっちゃったんです(笑)」(錦見)

魔法のフライパンを一人で作り出した錦見。この大きな機械にも魔法はかかるのか?

決して諦めないために必要なことを、スタジオで錦見は次のように答えている。

「できたあかつきに、それが世の中の人に届いた時、どういう状況が生まれるか。笑顔、笑い声、驚き……そういうものを思い浮かべることができたら、たぶん続けられると思います」



~村上龍の編集後記~ 

熔けた鉄はエネルギーの塊で、気持ちが高揚する。鋳造は、人類の一大発明であり、鉄器は、歴史を変えた。

バブル崩壊後、値下げ通告を繰り返すメーカーの「いやならいい、代わりはいくらでもいる」という台詞が錦見さんを奮い立たせた。「絶対に代わりがないものを」と、極薄のフライパンに挑戦した。

長い道のりだったが、「鋳型に流し込む鉄のストレス」に気づくことで、魔法のフライパンが完成した。「鉄のストレス」に気づく人がいるだろうか。

魔法は偶然には生じない。誰も気づかないことに気づく、それが魔法の本質だ。

<出演者略歴>

錦見泰郎(にしきみ・やすお)1960年、愛知県生まれ。高校卒業後、1981年、錦見鋳造入社。1992年、取引先から値下げ通告、フライパン開発に着手。2000年、代表取締役就任。2001年、魔法のフライパン誕生。

(2019年1月10日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)