電車でカタコト♪あの町この町 JR園部駅 ~日本最後の城「園部城」の謎に迫る!

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2019/03/26

下車したのは京都駅から約40分のJR山陰線「園部(そのべ)」駅。
今回、明治時代につくられた日本で最後のお城・園部城と、日本最古の天満宮・生身(いきみ)天満宮をお目当てにやってきました。

江戸時代、現在の南丹市周辺を治めた園部藩が立藩400年を迎え、その節目の年に「ラストキャッスル、ファースト天神」を合言葉に、町ではさまざまなイベントを予定しているんだとか。
今年、注目の町をいち早く歩いてみました~。おすすめのグルメスポットもご紹介します!

園部城の歴史を知る!「南丹市立文化博物館」

駅から博物館のある町の中心部まで約20分。ちょっぴり離れている理由は、110年前、園部駅が開業した際に「汽車=火を噴く塊・・・で怖い」と住民たちの不安が大きかったので、少し遠ざけたそう。

こちらの立派な天守閣が園部城?かと思いきや、違います~(笑)。南丹市国際交流会館です。ちなみに手前の大きな鳥の巨大オブジェは、旧園部町の鳥・カワセミ。

このあたり一帯が園部公園で、芝生の上でピクニックも楽しめますよ~。

博物館は隣接しているので、こちらを目印にして歩き進めていきましょう。園部城(園部高校)もすぐ向かいにありますよ。


出迎えてくださったのは、南丹市立文化博物館の館長・井尻智道さん。

博物館では原始時代から現代まで南丹市の歴史を辿ることができる歴史資料を常設展示、また南丹市ゆかりの画家が手掛けた絵画も多く所蔵していることから美術展にも力を入れています。企画展は年3回程あり。

入ってすぐ、園部城の城下町を中心とした畳6枚分ほどある大きな立体模型が目に飛び込んできます。リアルに町並みが再現されているので、ここで位置関係を確認しておくと、町歩きもスムーズですよ~。


築城に250年…日本最後の城、謎だらけの園部城を解説!

園部城を訪ねる前に、館長さんにお話をおうかがいしてみました。

―園部城は、明治時代につくられた日本最後のお城なんですね。明治にお城が作られるなんて、不思議でしょうがないのですが・・・。

井尻 あー、そうですよね。今から400年前の元和5(1619)年、園部藩ができました。初代藩主は小出吉親(こいでよしちか)。但馬国出石からやってきたお殿様です。小出氏は園部藩の立藩から廃藩まで10代にわたって藩主をつとめましたが、お城を持つのに250年もかかったんです。

―えええ!!250年??簡単にお城を持てない時代があったんですか。外様大名ですしね…

井尻 江戸時代は「一国一城令」や「武家諸法度」など、幕府が大名たちを統治するために、さまざまな制約があったんです。お城といえば、戦国時代まで軍事的な意味をもつ場所でしたが、江戸時代には政治の場へと役割を変えていきます。

当時お城をつくる時は、江戸幕府にお城をつくらなければならない理由が書かれた書状と図面の役割をする絵図を提出して相談しますが、稟議はなかなか通りません・・・。

―参勤交代も大変だったでしょうね~。お殿様はどこに住んでいたのでしょう?

井尻 はい。初代藩主は元和5(1619)年から2年の歳月をかけて、まずは、園部陣屋を築造しました。お城を持たない大名の居館ですね。

井尻 はじめは仮の住まいがあった園部町宍人(赤矢印)に築城を考えていましたが、水運や交通の利便性を考慮して現在地の小麦山周辺(黄色矢印)に決めんだと思います。

―大名の居城としての陣屋、想像つきません。どれくらいの規模だったんでしょうか?

井尻 敷地は総構で南北650メートル、東西400メートルという城ともよべる規模のものでした。当初は櫓を築造するつもりだったそうですが、二重堀や壁には狭間(さま)という鉄砲を撃つ穴が空いた壁などの防御装置もあるということで、その建設は見送られてしまいます・・・。

―すごく広いですね!!確かにお城サイズかも。

井尻 小出吉親は出石城から園部に移ってきたので、「園部陣屋」を「園部城」という格上のものにしたかったんだと思います。しかし、この時はお城とならなかったのですが、明治になってチャンスが訪れます。

―え?どういうことですか!?250年経って、チャンスが?

井尻 そうなんですよ~。元治元(1864)年、園部藩は櫓門3か所、櫓9基などの築造を幕府に願い出ます。

―築城には大義名分が必要かと思いますが、具体的には?

井尻 幕府へ提出した書状によれば、
・初代藩主の時から築城途中で延期になったまま
・池田屋事件などで京都は武力衝突が激化していたので警備を慎重にしたい
・京都から近いので戦乱の際、要衝地になる
ということなどを理由に挙げていたようですね。

しかし、幕府に願いは受け入れられず、交渉を重ねることに。そして、慶応3(1867)年10月ついに内諾をとることができました。

―慶応3年10月というと、大政奉還によって日本が大きく変わるタイミング、許可はスムーズに下りたのでしょうか?

井尻 またもやその影響で、正式な許可が出ず・・・(苦笑)。翌年の1月に、改めて新政府に願い出ることになります。新政府軍への願いでも前回と同じような理由でしたが、戊辰戦争の最中、今回は「帝都御守護」のため、すぐ認められました。

―やっとですね!!紆余曲折を経て・・・。どんな顔で喜んでいたのか、お殿様。気になります(笑)

井尻 櫓門3か所、櫓5基、さらには堀の造成まで認められ、園部神社や250年の時を経て園部城に生まれ変わりました。櫓の一つが、小麦山に置かれて、シンボル的な存在だったこともわかっています。

―明治2(1869)年、やっと完成したんですね。でも、廃藩置県って明治4(1871)年では?

井尻 はい(苦笑)。園部藩の政治的な拠点としての役割は、とても短く・・・。その後、官有地や民間に払い下げられるなどして、多くの建物はあっけなく取り壊されてしまったんです。
しかし、お城の跡地は明治10(1887)年から高等小学校、高等女学校、旧制中学校を経て現在の園部高校として活用され、城門、巽櫓、番所の3つの建物は現存する建物として文化財にも指定されています。園部高校に電話予約すると巽櫓の展示室を見学できますよ。

井尻 こちらは「丹波国園部絵図」(個人蔵)。町場や水路、道が色分けして描かれています。明治2(1869)年に築造された櫓門や櫓が描かれてないことから、改修前の様子を伝える資料です。

井尻 現在の地図の上に絵図を重ねた、園部城復元図はパンフレットとしてお配りしています。そちらをもって散策していただくのも面白いと思います。

―こちらの壮大な行列のフィギュアも気になる展示物ですね。お祭りですか?表情がとってもいいですね。

井尻 歴代園部藩主の崇敬があつい日本最古の天満宮、生身天満宮の秋季例祭に行われる神幸行列の様子をあらわしています。五代藩主・小出英持が祭礼を盛り上げるために神幸列を定め、寄進された祭礼道具類を現在も用いているそうです。今年ならではの催しがあるかもしれませんね。

―立藩400年ということで、今年はどんなお祭りになるのか、楽しみです!!今から園部城(園部高校)へ、そのあと生身天満宮にも行ってきます~。

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