小学校発祥の地が京都ってご存知?-意外に知らない京都初の○○シリーズ第1弾-

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2019/03/06

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さて、今回よりシリーズ化してお届けする意外に知られていない京都発祥の○○シリーズ。京都の歴史を紐解けば、あなたの身近にあるあんなものやこんなものが、京都発祥だったとは!?驚きの連続かもしれません~。

第1弾は「小学校」です!

どうして京都に日本初の学区制小学校「番組(ばんぐみ)小学校」がつくられたのか、京都市学校歴史博物館の学芸員・和崎光太郎さん(専門は教育史)にお話を聞いてきました♪

 小学校設立のきっかけは町おこし!民の熱い思いが炸裂

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-小学校設立に至った背景を教えてください。

和崎 幕末の動乱により京都の町は火災で壊滅的な被害にあい、さらに明治維新により政治と経済の中心が京都から東京に移り始めてました。それに伴い天皇や公家、有力な商人たちも京都を離れることになり、京都の人口は最終的に3分の1にまで激減してしまうんです。

衰退に向かう京都を復興するため、京都府(京都政府)、町民、有識者が一丸となり、さまざまな地域活性化プロジェクトを立ち上げ、成功させました。

-いまから150年前、元号が明治に変わり新しい時代を迎えるとき、京都は消滅の危機だったんですね!京都復興の一つが小学校の設立ということですか?

和崎 はい。明治2年(1869)に地域住民が出資者となり、すべての子ども(華士族以外)が通える日本初の学区制小学校「番組(ばんぐみ)小学校」をつくりました。なんとその数、半年間で64校!!日本の法律において学校制度ができる3年も前の出来事でした。

  1万円札でお馴染みの福沢諭吉もベタ褒めした番組小学校ってなに!?

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-まず最初に「番組」という名前が気になります。


和崎 そうですよねー。聞き慣れませんよね。京都の中心部では室町時代くらいから何軒かの家が集まって「町(ちょう)」をつくり、さらに町を集めて「町組(ちょうぐみ)」という自治組織をつくっていたんです。

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しかし町によって土地の広さや経済力などの差があり複雑になってきたので、明治元(1868)年と明治2(1869)年に、どの町組も同じ規模になるように町を再編しました。

当時の京都は上京と下京しかありませんでしたので、上京に33、下京に33合計66の新しい町組をつくり、番号で呼ばれるようになったので「番組(ばんぐみ)」と名前を変えます。

原則として1つの番組につき1校ずつ小学校をつくったことから「番組小学校」といい、全国初の学区制小学校が誕生しました。

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