町の鶏肉屋さんから絶品&独自の鶏ビジネス!~失敗だらけの50年戦争/トリゼンフーズ/読んで分かる「カンブリア宮殿」



お取り寄せも大人気~急拡大「華味鳥」って?

にぎわう埼玉県さいたま市の「博多華味鳥」さいたま新都心店。「お昼の水炊きコース」(1980円)は、野菜たっぷりのヘルシーな水炊きだ。ひとくち食べると、誰もが幸せそうにほほ笑む鶏肉は「華味鳥」。キメの細かいプリプリの肉質とジューシーなうまみが特徴だ。

東京・新宿の博多料理のダイニング「博多華善」新宿三井ビル店のお勧めは、炭火焼の「華味鳥のぷりぷり」(800円)だ。絶品の食感とうまみをシンプルに味わう。特製の甘だれで食べるジューシーな「華味鳥」の「特製たれつくね」(500円)も大人気だ。

「華味鳥」がおいしさで客を呼ぶのは肉だけではない。「博多鶏ソバ華味鳥」のスープは「華味鳥」の鶏ガラをじっくり煮込んだコクのある白湯スープ。ジューシーなチャーシューも「華味鳥」だ。

外食だけではない。家庭で大人気なのが、濃厚な鶏ガラスープに「華味鳥」を使ったお取り寄せの「博多華味鳥の水炊きセット」(5200円)。ネット通販のランキングでいくつもの賞を受賞するほどの人気商品だ。5000円のセットなら4人家族でも十分、店の味わいを楽しむことができる。

最近では大手からも注目を集めている。例えば「セブンイレブン」では「華味鳥のシャキシャキ野菜サラダ」(399円。九州エリアの一部で販売)に。九州ならではのゆずこしょうドレッシングと合わせたジューシーな「華味鳥」が味わえる。

また、「天丼てんや」は、幾つかの銘柄鶏を試す中で、最も売り上げが良かった「華味鳥天丼」(690円)を期間限定メニューとして定番化した。

この華味鳥人気には仕掛け人がいる。福岡市博多区の吉塚商店街。このひなびた商店街でかつて鶏肉店を営んでいた、トリゼンフーズ会長・河津善博だ。

「僕も陳列の前に立って『いらっしゃい』と。そこから始まっています」(河津)

商店街のほど近くにある一角に、トリゼンフーズグループの建物が集まっている。誰よりも大きな声で挨拶するという河津は、楽しげに社員と言葉を交わす。毎朝の掃除は必ず一緒になって行う。とにかく社員との距離が近い。

河津が店舗視察にやってきたのは、銀座のど真ん中に構える「水たき料亭博多華味鳥」銀座四丁目店。河津が展開する水炊きの店だ。水炊き店から炭火焼の店、とりそばの店など、河津は50店舗近い「華味鳥」の店を展開。外食で今や年間35億円を稼ぎ出す。



町の鶏肉店が100億円企業に~絶品鶏ビジネスの秘密

佐賀県唐津市の田舎町で、河津がその成功を支える現場を特別に見せてくれた。

山あいには白い巨大な建物群が。入り口では何段階もの消毒が必要だという。衛生管理が徹底された建物の中には「華味鳥」のヒナが。これが河津のビジネスの根幹だ。河津は自ら開発したブランド鶏「華味鳥」の養鶏事業を手がけているのだ。

病気感染を恐れ、密閉した鶏舎が多い中、「華味鳥」は太陽光や風を取り入れた飼育にこだわっている。餌は、海藻やハーブのエキスを米ぬかに混ぜ込み、発酵させた特注品。これが他にない歯ごたえを生み出すという。

「これだけ広く展開させてもらっているけど、ルーツは何かと言われれば養鶏場。鶏を育てることがなければ、ビジネスにはならなかった」(河津)

河津のビジネスはこれだけではない。「トリゼン食鳥肉協同組合」の巨大な建物では、毎日2万羽の「華味鳥」が最新鋭の機器で超高速処理されている。全自動で切り身にされる部位があれば、鶏肉をミンチにしてミートボールにも。「華味鳥」でさまざまな加工品を作っており、これだけでも年間52億円を売り上げる。

「加工品のバリエーションをいろいろ考えている。材料を持っているからできるんです」(河津)

残った骨は長時間煮込み、コラーゲンたっぷりの水炊き用スープが作られていた。「華味鳥」を余すことなく使い、さまざまな商品を生み出しているのだ。

福岡県大野城市のスーパー「エルショップ」でも「華味鳥」は売られている。ちょっと贅沢したい時の銘柄鶏として親しまれている。この鶏肉の製造販売部門の売り上げはすでに30億円を超えている。

トリゼンフーズは、養鶏から肉の販売、加工品、外食と、「華味鳥」を武器にあらゆる鶏ビジネスを展開。河津が働き始めた頃に1億円程度だった年商は、今や130億円に迫る。

「養鶏場が利益を出して、鶏を工場に出荷していろいろな商品にしてまた利益が出る。それを加工場に持っていってハンバーグを作って利益が出て、それを今度は飲食事業に持っていく。垂直統合しているんです」(河津)

自社で鶏作りの全てを手がけているため、「華味鳥」を扱う店に運ばれる肉は新鮮そのもの。他がまねのできない圧倒的なおいしさを提供できるのだ。



ポリシーは「失敗OK」~新規事業で攻める社員たち

福岡市中央区に、「華味鳥」が丸ごと食べられる専門店「キッチン&チキン ペプチード」がある。その場で大胆に切り分ける丸焼き「華味鳥のロティサリーチキン」(2780円)は、皮がパリパリで身はふんわりと、絶妙の焼き加減だ。「丸鶏トマト鍋」(2480円)は、トマトでトロトロに煮込んだ丸ごとの「華味鳥」をモッツァレラで。

このユニークな店を当てたのはトリゼンフーズの社員。32歳の若さで店舗開発のリーダーを任された飲食事業部本部統括マネージャーの伊福和義だ。

「年齢に関係なく任せていただいています。会長は『まあ、よかよか』と言います。『失敗したら、すぐ元に戻せ』と。いろいろと失敗してきましたが、それをカバーしてくれる父親のような存在です」(伊福)

そこには、こんな河津のポリシーがあるという。それは「失敗は許す、なんでも挑戦しろ」。そんな理念のもと、農業・環境事業部の福岡浩一もユニークなビジネスに挑んでいる。

福岡が訪ねたのは、山口県山陽小野田市にある新規事業の取引先。貝の養殖などを手がける水産会社「平野水産」だ。ハマグリの養殖いけすの中に福岡が販売した商品があった。沈んでいたのは、「華味鳥」のフンで開発した固形肥料だ。

「生の鶏糞をしっかり完熟させて固めて作った海の肥料です。窒素やリン酸が溶け出して植物性プランクトンが増殖し、貝にとっていい餌になります」(福岡)

この日は、ハマグリの成長にどんな効果があったのかをチェックするためにやってきた。身の付き方を見ると、中にはプリプリの大粒の身が。平野水産の藤岡友三社長は「痩せ細ることもあるのですが、身の質もいいし、かなり改善されている」と評価。今までにない挑戦に明るい展開が見えてきた。

「この事業はずっと赤字続きですが、力を入れてくれるので感謝しています。会長の積極的な後押しで、思う存分できます」(福岡)

そんな河津のポリシーの裏には、耳を疑うような自身の失敗だらけの半生があった。



オープン初日に撤退~ミスター大失敗、驚きの挑戦

父親が創業した1949年、トリゼンは町の鶏肉店としてスタートする。まず失敗したのが、自分たちで鳥を生産しようと父と始めた養鶏事業だった。

「順調ではないですよ。そんなに簡単にはいかない」(河津)

その中で、こだわりの鳥で勝負しようと根気よく開発したのが「華味鳥」だった。

その後、外食へ進出するのだが、きっかけは、新規で売り始めた通販の水炊きを買った客から「おたくの通販の水炊き、『料亭の味』とあるけど、その料亭、どこにあるの?」という問い合わせだった。

「売れるにはキャッチコピーがいるので『料亭の味』とやっちゃったんです。『どこに?』と言われても、ない。慌てて作りました」(河津)

こうして1994年、「水たき料亭博多華味鳥」をオープン。1店舗目はうまくいったが、その先に大失敗が待っていた。

それは河津が長崎に出店する候補物件を見に行った時のこと。「この物件はあまりに面積が広いので敬遠されている。格安でお貸しできます」という話に飛びついてしまう。

ところがオープンすると、客のクレームが続出する。店があまりにも大きく、客にまともなサービスができなかったのだ。

「オープンした日に大家さんのところに行って『店を閉めさせてください』と言ったら、大家さんがうろたえて『どうかしたんですか』と。私の頭がどうかしていました、と。結果的に、40日で撤退しました」(河津)

そんな失敗だらけの河津の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」。

「失敗に次ぐ失敗なので、自分にそう言い聞かせている。失敗してもめげずに、その失敗があるから明日の成功に向かうのだと考える。それは大事なことだと思います」(河津)

「ライフワークはミャンマー」~感動の水炊き世界展開

新宿にある「博多華善」新宿三井ビル店が繁盛する理由は、名物店長にもある。客の多くから驚くほど親しまれている店長は、ミャンマー生まれのチョウゼヤさん。この店は彼だけでなく、全ての店員がミャンマーから働きに来ている。2009年、一生懸命働くチョウゼヤさんに河津が店を任せたのが始まりだった。

ミャンマー最大の都市ヤンゴン。河津は縁あって長年、ミャンマーに通いつめている。「これからのワイフワークはミャンマーです」と言うほどだ。

そんな中で、日本で働きたい若者の採用も行ってきた。「日本の店のミャンマー出身者は40~50人。みんな真面目でよく働くから」と言う。

この日、河津は車で2時間かけて、貧しい孤児たちが無料で学ぶ、地元の寺が運営する小学校を訪ねた。出迎えてくれたのは日本の曲を歌う多くの子供たち。河津はここに校舎を建設するなど、長年に渡って支援してきた。教室で生徒たちが学んでいたのは日本語だ。

「河津会長が支援してくれるまでは、校舎もなく、お寺で授業をしていました。子供たちに日本のことを聞くと、みんな『早く日本に行ってみたい』と答えます」(ベビウー校長)

ミャンマーとの縁を大切にしてきた河津が、オープンしたばかりの「博多華味鳥」ヤンゴン・パラミ店に案内してくれた。最近の経済発展ぶりを見て、念願の出店を決めたという。きれいな店内はずいぶんなにぎわい。ミャンマーで勝負するのは、「華味鳥」の水炊きだ。

店内にはチョウゼヤさんの姿があった。この店は、河津がチョウゼヤさんをオーナーにするために作ったのだという。

「オープンして1週間ぐらいで、まだみんな慣れてないからバタバタしている。私もドキドキしながら教えています。足りないところがいっぱいあります」(チョウゼヤさん)

河津は「チョウゼヤ君がいるからミャンマー。1号店を成功させて、2号店、3号店を今年中に作りたいと思います」と言う。

店に1人の女性が訪ねてきた。河津が支援する孤児たちが通う学校の卒業生のチャオスさんだ。ミャンマーへの出店を聞いて、働きたいとやってきた。

「河津会長が作った店なので、私も一生懸命働いて恩返ししたいです」(チャオスさん)

河津の長年の挑戦がミャンマーの地で新たな花を咲かせていた。

人気の鶏料理店、やる気倍増の「女将戦略」

「華味鳥」の店の魅力を支えるのが、個性豊かな女将たち。「華味鳥」はチェーン店でありながら、全ての店に女将がいる。銀座の女将、東里江子は「チェーン店だけど、チェーン店らしくない。『自分の店のようにやってください』と言われています」と言う。

実際、店作りのかなりの裁量を女将に任せているという。

中洲本店の若女将、松田美香がこだわるのは、得意の書道を生かしたお品書き作り。「少しでもお客様のいい思い出になったらいいなと思いまして」(松田)

さらに、西中洲店の坂梨尚美は、客層に合わせて改装まで行ったという。

「こういうお客様をお呼びしたいという女将の構想で店を改装しました。この店は彼女が仕切ってやってもらわないといけない」(河津)

女将戦略にはまだ続きがある。例えば本社勤務の教育課課長・田中恵子は「絶対に女将さんなんてなれない、まず着物を着たくないと、いろいろありました」と言うが、実は田中も以前は女将をやっていた。企画担当の企画室・竹尾樹理も元女将だ。

そんな「女将戦略」を、河津はスタジオでこう語っている。

「水炊きは全店、同じ味ですが、女将の個性は違う。基本的に本社には女将を経験しないと行けないようにしています。本部の人間が偉いというのは錯覚。現場のパート従業員と目線を合わせないといけない。『本部の通達』というやり方はよくないと思っています」



~村上龍の編集後記~

数々の失敗がクローズアップされがちだが、トリゼンフーズの特徴は別にある。

河津さんの父親が、とても印象的だ。胴巻きに現金を入れ、農家から鶏を50羽、100羽単位で仕入れ、さばいて店で売った。意欲的で本質的な、ビジネスの原型だ。

トリゼンフーズの特性は挑戦的な姿勢で、失敗は付録。華味鳥を生みだし、開放型の鶏舎を作り、今は鶏糞を有機肥料に変え、循環型農業を目指す。

華味鳥の人気は定着したが、社員には「ブランドに溺れるな、鮮度にこだわれ」と教える。九州人だなと思う。挑戦が好きで、満足を知らない。

<出演者略歴>

河津善博(かわつ・よしひろ)1954年、福岡県生まれ。1972年、とり善(現トリゼンフーズ)入社。1999年、社長就任。2015年、会長就任。

(2019年3月14日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)