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長男が全財産を相続する家督相続を採用していた戦前、兄弟姉妹に不満はなかったのか?=小櫃麻衣

現在の民法では、相続人が均等に相続をする均分相続が採用されています。今回は、戦前に採用されていた相続制度である家督相続がどんなものなのかを解説します。(『FPが教える!相続知識配信メルマガ☆彡.。』小櫃麻衣)

戦前に採用されていた“家督相続の全貌”とは?

長男にすべての財産を相続させる家督制度

現在の民法では、共同相続人の相続分を均等にする均分相続が採用されていますが、戦前は、一家の長男が全財産を相続する家督相続という相続方法が採用されていました。

多くの方々は相続人である子供たちに不公平が生まれないようにきっちり平等に遺産相続させたいと思っているとは思いますが、中には“家を継ぐ長男には多めに相続させたい”など、多少たりとも家督相続の考えを採用したいと思っている方も多いのではないでしょうか。

戦後70年以上が経過しているものの、完全に家督相続の名残が消えるまでにはまだ時間がかかりそうな気もしますね。

冒頭でも軽く触れさせて頂きましたが、家督相続では、その家の長男に全財産を相続させるといった相続方法となります。

戦後、この家督相続は廃止されたのですが、それ以前はどのような形式で相続が行われていたのでしょうか。

そこで今回は、“家督相続の全貌”について解説していきます。

家督相続とは、戸籍の長、つまり戸主の相続が発生した際に、戸主が所有する全ての財産、あるいは地位などを、その家の新戸主である長男が一人で相続するという相続方法となります。

つまり、複数の兄弟姉妹がいたとしても、その方々は一銭も相続できないというわけです。

江戸時代からある“戸主が家を守り、家を絶やすことはご法度”という考えが、そのまま法律となったともいわれています。

隠居や入夫婚姻でも家督相続が発生していた旧制度

旧民法下で施行されていたこの相続方法は、明治31年7月16日から昭和22年5月2日まで続いていました。

戦後のGHQによる改革によってこの相続方法が廃止されたというわけです。

さて、現代の相続と最も異なる点は、当時の相続は死亡だけが原因ではなく、隠居や入夫婚姻などによっても家督相続が発生していたということ。

隠居とは、被相続人である戸主が生前に、戸主の立場を他の者に譲ることをいい、入夫婚姻とは、男性が女性の戸籍に入り、新戸主となることをいいます。

現代でいう婿取り婚のことですね。

人の死だけでなく、このような理由によっても家督相続が発生し、現在の戸主の一切の財産・地位を新戸主である方に相続させるといった方式も取られていたのです。

そして現民法下では、誰がどれだけ財産を相続したのかによって課税される相続税が決まるようになっていますが、旧民法下では、遺産総額を元に相続税が決まるようになっていたので、税負担に苦しむ方も多かったそうです。

さて旧民法下では、長男だけに相続権が発生する家督相続が採用されていたわけですが、“長男が第一順位”と明文化されていたわけではなく、長男が第一順位の相続人となるように一応、相続順位が設けられていました。

現民法下では、常に相続人となるのが配偶者、第一順位の相続人が子供、第二順位の相続人が両親、第三順位の相続人が兄弟姉妹と明文化されています。

そして、配偶者がいれば配偶者と最も順位の高い相続人がセットで相続人となり、配偶者がいない場合には最も順位の高い相続人のみが相続人となり、順位付きの相続人が複数いる場合には等分で相続することになっていますが、旧民法下ではどのように相続順位が定められていたのでしょうか。

Next: 旧民法で定められていた相続順位とは?

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