「令和」はもともと安倍晋三氏の念頭にはなく、ドタバタの駆け込みで決まった元号だった。その真実が少しずつ分かってきた。(『世に倦む日日』)
※本記事は有料メルマガ『世に倦む日日』2019年4月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。
「今回の元号選定は明らかに政局で、歴史に残る重要な政治戦」
「令和」に決まるまでのドタバタ
「令和」はもともと安倍晋三氏の念頭にはなく、ドタバタの駆け込みで決まった元号だった。その真実が少しずつ分かってきた。
2日のTBSワイドショーに出演した田崎史郎氏が裏話を披瀝し、「令和」が元号案として登場したのは3月20日頃とかなり遅く、安倍晋三氏が気に入る案がなく再提出を依頼した結果、出てきたのが「令和」だったと語っている。この話は半ば信憑性が高い。
毎日の3月24日の記事を見ると、菅義偉氏が「考案者の皆さま方に3月14日、正式に委嘱した」とある。24日は日曜日で、この日、菅義偉氏は選挙の応援で九州に飛んでいて、出先でこの発言をしてNHKに撮らせていた。
そのニュースを見たとき、オヤと不思議に思ったのである。何でこんな遅いタイミングで考案者に委嘱なのだろうと。3月1日の日テレの報道を再確認すると、「新元号”絞り込み”最終段階…日本古典も」という見出しで次のように書かれている。
「『平成』に代わる新たな元号の発表まで1か月となった。政府はこれまで、複数の有識者に新元号の考案を依頼していたが、1日までに候補が出そろい、絞り込み作業が最終段階に入ったことが分かった」。
この時期、NHKの岩田明子氏も同じことを言い、元号は十数案に絞られたと話していた。無論、絞り込みは安倍晋三氏がやることで、誰か別の人間が行うわけではない。この「報道」の意味は、安倍晋三氏が本命案を決めたということで、残りの3つ4つのサクラをどう絞り込むかこれから決めるということである。
このとき、「令和」は十数案の中になく、中西進氏は考案者の中に入ってなかった。
4月1日の共同の記事にこうある。「中西氏は共同通信の取材に、当初は明言を避けていたが、公表が近づいた3月上旬になって『私は関係していない』と否定している」。これは嘘ではあるまい。本当に関係していなかったのだ。3月1日の時点で、中西進氏は考案委嘱者の任から外れたことが政府担当から告げられたため、マスコミにも正直に「私は関係していない」とコメントしたのだろう。
そこからどんでん返しが始まり、3月中旬になって正式に中西進氏に委嘱の依頼が来るのである。
明確に分かることは、3月1日から中旬の間に安倍晋三氏が決めていた本命案が潰れたことだ。本命案が潰れたから、やむを得ず中西進氏に泣きつき、慌ただしく「令和」に漂着したのである。
わずか2週間という短い時間で「令和」が浮上し、時間切れの混乱の中でバタバタと決着した。
安倍首相の本命案は立ち消えに
決めたのは安倍晋三氏だが、安倍晋三氏にとっても決して本意ではない決定である。
無論、残りの5案(英弘、久化、広至、万和、万保)はサクラであり、体裁を整えるための刺身のツマに他ならない。有識者の面々は、安倍晋三氏が決める安倍元号をオーソライズするための雛壇衆でしかなく、彼らには直前に、会議本番では「令和」を推すようにと指示が届いている。
果たして、安倍晋三氏の本命は何だったのだろうか。それはどうして頓挫したのだろうか。