スリランカテロのなぜ?五輪を控えた日本にもある「小さな火種」

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4月21日にスリランカで発生した連続爆破テロは、現地に住む日本人を含む200人以上の死者を出す惨事となりました。内戦時代にスリランカ各地を回った経験がある、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、今回のテロは、内戦時代に発生したテロとは明らかに違う質のものだと指摘し、オリンピックを控えたわが国にとって「対岸の火事」とは言えないと警鐘を鳴らしています。

「優しさ」「激しさ」が同居する国、スリランカ

四半世紀以上も疑問に思うことのひとつにスリランカという国で「優しさ」と「激しさ」がなぜ同居できるのかということだ。私が初めて訪れたのは大学2年生の頃だったが、柔らかい国民の表情は優しく微笑ましい印象で、内戦中にも関わらず、最大都市コロンボも沿岸のリゾート地も小さな港町も静かな時間が流れていた。

長年続いてきた内戦状態では、爆弾テロが頻発してきたが、その内戦も2009年に終結し、平和な日々のはずだった。しかし今回起きた爆弾テロはその内戦状態で起きたものよりも凄惨だ。

カトリック教会などを狙った連続爆弾という極めて悪質なテロ行為に、なぜ、という思いから抜け出せないまま現地からの報道に注目すると、同国で少数派のキリスト教徒を狙った襲撃は起きていたと伝えられ、内戦終結後の新たな「激しさ」にやはり戸惑い、心は硬直してしまうのだ。

大学生の頃、私のような新聞記者志望の人間が目指した中には、沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れた経験を持つ者のも少なくない。私以前の世代では小田実の世界を巡った旅行記『何でも見てやろう』であり、ベトナム戦争反対という政治の季節の中で権力に立ち向かう様式が、新聞記者へと導かれる形のひとつであった。

安保闘争で敗北した後のわれわれが向かうべきは、「プラザ合意」以降の円高で現実となった海外一人旅である。外に目を向けることで、世界の広さと自国の形を確認しつつの自分探しの旅である。今思えば、私もその一環の旅だったのだろう。

当時の私は自分だけができるような傲慢な錯覚の中でインドを列車で一周し、途中にスリランカ各地を回った。当時はシンハラ人(仏教徒)の政府とタミル人(ヒンドゥー教徒)の分離独立派「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の内戦により、LTTEの支配地域は立ち入り禁止だったが、禁止地区まで行くことで知らなかった戦争に触れた高揚感を覚えた。

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