ときにはルールを疑ってみる~午堂登紀雄の「フリーキャピタリスト入門」

■先週の振り返りと気づき

先週は、県議会議員と市長と市議会議員に立て続けに会ってきました。統一地方選挙がスタートし、その応援を伝えるためです。

そして今後、彼らが主催する公開討論会への参加など、政治家との接点を増やそうと思っています。

ウチの場合は特に、子どもの学校や療育関連で問題に直面しそうな予感があり、相談や解決の支援に乗ってもらえる期待があるからです。地元の権力者とつながっておくことは、いろいろと助かることがあると実際にも経験しました。

たとえば県議会議員は県庁や県警などよりも上位の立場です。知事ー県議会ー他の行政組織ですから、権力は非常に大きい。

だからたとえば交通事故などでも、県議が県警に圧力をかけてもみ消すこともできるわけです。(さすがに私はそんな違法性の高いことはやりませんが)

市議会議員も市役所や教育委員会より上ですから、市役所や学校がらみで理不尽なことが起これば、相談して対応してもらえるかもしれません。

たとえば学校で言えば、いじめの問題。発達障害児、特に自閉症児はコミュニケーションに難があるためいじめに遭う可能性が高いのですが、もし学校側に隠ぺい体質があれば子供が危険にさらされる。

長男は来月から年中なのに、いまだに思いついたことをただ言葉にしているだけで、やりとりがほとんどできません。あと2年でどうにかなればいいのですが、この調子だと支援級かなあ。。。と思っています。

支援級でも、科目によっては普通級と同じ授業を受けることもあるらしく、子どもの純粋ゆえの残酷さは、息子がどう感じるか。。

また、私が住んでいる千葉県は虐待の認知件数で全国ワースト4位だそうで、私も関心があるので何か手伝いたい。

というわけで、政治家とのパイプを太くしておこうと思っています。

■厚労省の指針は本当に正しいか

先週、バイトテロを防ぐ方法として、次のような提案を書きました。

「そして最後に、採用面接で気を付けたいこと。承認欲求が過剰に強い人は自己肯定感が低いと述べましたが、幼少期の家庭環境に問題があるケースが多いので、どのような親にどのように育てられたかを聞いてみるとよいでしょう。」

と書いてそれがまぐまぐに掲載されたのですが、「それ(家庭環境など)は聞いてはいけないことではないか」という指摘を受けました。

確かに厚生労働省が発表している指針には、「家族状況や生活環境といった、応募者の適性・能力とは関係ないことを聞くのは不適切」とされています。

それで、発行元のまぐまぐサイドに迷惑がかかってはいけないのでその部分は修正していただきましたが、私は特に問題はないと考えています(もちろん、本人の気分を害さないよう、質問の仕方には配慮する必要はあると思いますが)。

なぜか。

本メルマガでも以前連載したとおり、幼少期の親との関係や家庭環境が本人の自己肯定感に大きく影響を与えるというのは、各種発達心理学の調査研究で明らかになっています。

自己肯定感が低ければ、自分の評価を下げまいと、人を引きずりおろすことがあります。保身のために言い訳や責任転嫁が増える傾向があります。

あるいはパワハラやモラハラも、自分は偉くなければといけないという支配欲が強いからやるわけで、自分の評価を上げるために部下の手柄は自分のもの、自分の評価をさげないために問題が起きれば責任は部下に転嫁という上司にもなりやすい。

虐待されて育った子が、大人になってやはり自分の子に虐待するのと同じく、幼少期の影響は生涯続くことがよくあります。

自己肯定感が低ければ自己愛が暴走し、過剰な嫉妬、承認欲求、自己顕示欲、保身願望、諦めやすさや傷つきやすさにつながりやすいのです。もちろん全員がそうだというわけではありませんが、これは差別などではなく、厳然たる事実です。

ではこうした人が、チームとうまくコミュニケーションをとって成果を出せるでしょうか。そのような人が、組織に必要でしょうか。これは能力以前の問題として、採用にあたって重要なことではないでしょうか。

ではそれを短い面接の中で見抜けるかというと難しい。事前に準備できていくらでも装飾を施せるからです。

なので本人の自己肯定感の高さを知るには、一般的な質問よりも育成環境を聞くとわかることがあります。

実際、「この人はなんでこんなに自信がなく自己肯定感が低いんだろう?」と感じる人の幼少期を聞くと、たいてい親と確執があったとか愛情不足だったとかの問題があったのです。

たとえばきょうだいで比較されて育ち劣等感が強くなっているとか、親の期待が高すぎてその期待に沿えず自信をなくしてしまっているとか。

もうひとつ。かつてアルバイトの不適切動画が炎上し、客数が激減して閉店に追い込まれた蕎麦屋がありました。

チェーンでもやはりブランドイメージが棄損し、客離れが起き、売上が下がったという報道がありました。先日の大戸屋の閉店による機会損失は1億円だそうです。

そうやって企業の売上が下がれば、コストカットのために人員整理をしなければならないかもしれません。

そうすると、なんの罪もない、一生懸命にがんばっている従業員が職を失う可能性すらあるわけです。たった一人の悪ふざけのために、何十人、何百人の従業員が職を失うとしたら?

もちろん聞き方は配慮する必要がありますし、差別につながりかねないという厚労省の指摘はごもっともですが、そのような人を採用するリスクを排除するほうが重要ではないのか。

そんな人のために、「厚労省から指針が出ているから面接で聞いてはいけない」などという指摘が本当に企業や従業員のためになるのか。

「ルールだからやってはいけない」と批判する人は、そのルールが時と場合によっては適切ではないこともある、ということに思いが及ばないのでしょう。

ルールを守ることに一生懸命で、それが間違っているかもしれないとか、ルールを変えた方がいいかもしれないとは考えない。

たとえばアメリカも、TPPを抜けて二国間貿易交渉に切り替えるなど、自国に都合の良いルールを作り、都合が悪ければ変えようとします。

しかし日本人の多くはルールを守ることが正義であり、ルールから外れていれば、ただ批判するだけ。

それに厚労省だって叩かれたくないから、いっけん正しそうなこと、道徳的なことを言う傾向になるのは想像に難くありません。

役人も人間ですからつねに正しいとは限らないし、「こんなことを聞かれて不愉快だった」というクレームがあれば対応しなければならないでしょう。

たとえば「母子家庭で子どもが小さいという理由で不採用になった」という事実だけを見れば、確かに本人の能力とは関係ないし、差別に感じるかもしれません。しかし面接を受けたのが中小零細企業だったとしたら?

一人の業務守備範囲が広い中小零細企業では、一人抜けるだけで大きなダメージで、仕事が回らなくなることもあります。

本来はそれをフォローする仕組みを作っておくべきというのはその通りですが、大企業とは違い、そこまで人を抱える余裕などないでしょう。私もかつて零細企業を経営していましたから経験値として理解できます。

であれば家族構成を聞いて、「子どもが発熱した場合など、誰か見てくれる人はいますか?」などと聞いて早退する可能性のある人を避けるというのは、企業のリスク管理としては合理的であると考えられます。

「母子家庭だから」が理由なのではなく、「業務に支障が出る可能性があるから」が本当の理由です。

母子家庭であっても祖父母が近くにいて手伝ってくれるとか、自治体のファミリーサポートセンターに依頼できるとか、フォローできる体制があるなら問題ない。

しかしそれは聞かなければわからない。聞かないで採用し、「えっ、そんな・・・」ということになれば、会社も同僚も困るし、本人も肩身が狭い思いをするでしょう。これは介護なども同じ。

そう考えれば、「本人の適性・能力とは関係ないことは聞いてはいけない」というのはきれいごとの欺瞞のように感じます。

もちろん、恋人がいるかどうかなどといった質問は関係ないですが、女性の場合は結婚退職という人もいるので、そういうイベントがあっても働き続けたいかを確認するのは採用側にとってはごく自然なことのように思います。

人材不足の昨今、一人当たりの採用コストは莫大ですし、訓練や育成にもお金と時間がかかる。せっかく採用した人の早期離職は企業にとってのダメージです。

それに、厚労省が指摘する「能力」とは単なる業務処理力のことでしょう。

しかし幼少期の家庭環境は自己肯定感に影響を与え、それは挑戦する能力、やり抜く能力、協力し合う能力、部下後輩を適切に評価指導する能力につながります。

そう考えれば、十分に本人の適性や能力に関係すると言えるのではないでしょうか。

つまり厚労省の言う能力は「認知能力」に限定した話のような印象で、そこには「非認知能力」を確認する発想がないと感じられます。

むろん正社員採用のように、たとえばインターンでポテンシャルを見たり何度も面接するなどじっくり時間をかけて選考するなら、家庭環境の情報などなくても見抜くことは可能ですが、アルバイトの選考にそこまで時間はかけられないでしょう。

その場合は「厚労省の指針のほうが不適切」だと考える企業があってもおかしくありません。

違法行為は別ですが、ときには「ルールそのものを疑う」という思考の柔軟性を持っておきたいものです。

なぜ嫉妬の感情が湧くのか

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