前回、孤独は寂しいものではなく、むしろ最強の生き方だと述べました。では、なぜアジや暴走族は群れるのでしょうか?孤独を避けることの弊害について考えます。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)
※本記事は有料メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2017年7月3日号を一部抜粋したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
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なぜアジや暴走族は群れるのか?
大海原を泳ぐアジの大群や、大草原を駆け抜けるヌーの大群の映像を見たことのある人も多いと思いますが、彼らはなぜ群れを成すのか? それは弱いからです。弱いから集団を作り、対象を分散させて命を守ろうとします。
一方、トラやクマは単独行動をします。習性と行ってしまえばそれまでですが、彼らは強いからです。単体でエサを取ったり外敵から身を守ったりして、自分だけで生きることができるので、群れる必要がないのです。
人間でも、暴走族はなぜ群れるかというと、弱いからです。弱い自分の寂しさを紛らわすためです。
本当に走るのが好きなら一人で走ればいいものですが、彼らはそうではない。家族や社会からハブられて寂しい。だからそういう人同士で集まる。似た環境、同じ感情を共有できるから心地いい。
同時に、晴らしたくても堂々とは晴らせない親や社会に対する鬱憤(うっぷん)があり、自分という存在はここにあり、自分を見てほしいという欲求がある。それを表現する方法が暴走行為なわけです。
彼らは一人では暴走行為はできない。集団だからその勇気を持てる。
つまり何が言いたいかというと、人間には帰属欲求がありますが、群れたがるのは弱い証拠であり、群れると人間を弱くするということ。団体旅行のように、群れは発想を横柄にもします。
もちろん、群れの中でしか磨かれない能力、たとえば対人能力やリーダーシップなどはあるでしょう。
しかしそれは、個の輝きがあるからこそ、他人をひきつける魅力となるわけで、それは誰かの群れの中に入るのではなく、自ら群れをつくることにほかなりません。強い(自己の意思がある)人間は、自ら会社を作って周りに人を集め組織を作るようなものです。
一方、弱い存在の人間は、すでにあるサークルのグループ、職場のグループ、ママ友グループに所属しようとします。誰かに雇ってもらおうとします。