2020年大河ドラマにも登場する戦国武将・細川幽斎(藤孝)とは?

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2019/07/20
田辺城資料館内にある細川幽斎像。南禅寺天授庵蔵の肖像画を元に制作されたもの

2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の出演者、第2弾が発表され話題を集めています!

大河ドラマでは主人公・明智光秀と苦楽をともにした盟友であり、親戚でもある細川幽斎(ゆうさい=藤孝)は、今後注目を集めること間違いなし!の戦国武将。

細川家というと全国的には熊本のお殿様というイメージですが、その礎を共に築いたのは京都でした。歴史のポイントを予習しておくと、よりドラマのストーリーを楽しむことができますよ。

※読みやすさ重視で細川藤孝を「幽斎」で統一します。

 細川幽斎は明智光秀に並ぶ織田信長の超優秀な家臣だった

まずは、細川幽斎とはどういった人物なのかをご紹介します。

幽斎は、織田信長と同じ歳であった戦国武将です。幽斎と光秀は足利将軍や織田信長に使えた家臣で、苦楽をともにした同僚であり友人でした。さらには信長が光秀の娘・お玉と幽斎の息子・忠興を結婚させ、親戚関係にもあったんです。

最初に細川家が信長から与えられた領地は西岡地域(現在の京都府長岡京市・向日市)でした。このときから「長岡」姓を名乗ります。

その後、約10年治めた西岡を信長へと返し、幽斎と忠興親子は天正8(1580)年8月に丹後国(今の京都府北部ですね)を信長から与えられ移封。丹後支配の拠点で、鳥取攻めの拠点ともなる宮津城を築城し、本城としました。

突然の「本能寺の変」で幽斎は出家&隠居@田辺城

舞鶴にある田辺城 by写真AC

丹後の領主になってからわずか2年後、天正10(1852)年6月2日、光秀が主君・信長を討つ「本能寺の変」の知らせをうけます。


信長に対する追悼の意味を示すために髪を下ろして、幽斎玄旨(ゆうさいげんし)と名乗り、家督を息子・忠興に譲り、舞鶴の田辺城にて隠居します。

光秀と秀吉が激突した“天下分け目の合戦”こと山崎合戦では、幽斎は信長父子の喪に服するという意味で、中立の立場として丹後から動きませんでした。

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