"青森の神様 木村藤子" あなたに幸福をもたらすメールマガジン - まぐスぺインタビュー

木村藤子さんのメルマガおすすめポイント
①木村藤子に質問できる
②正しい生き方が学べる
③心に平安が訪れる

『「気づき」の幸せ』30万部や、『幸せの絆』20万部など、大ベストセラーを数多く世に送り出し、自分の思うような人生を歩むためには「気づき」が必要だと説いた木村藤子さんが、ついにまぐまぐから有料メルマガを発行しました。恐山の麓、青森県むつ市で生まれ育った彼女が、全国的に知れ渡ったわけ、そして「気づき」の真髄についてインタビューさせていただきました。

神様から「自分の人生は自由にできない」と言われ……

――著書を読むと30代で今の仕事に就いたということでしたけれども、どういった経緯だったのでしょうか?

実を言いますと、私の母親も地元では有名な霊能者でした。聡明で優しい母親でした。毎日、相談者が家に来ていたので、小さいながらに「みんなの相談にのってあげてるんだな」と思っていたのを覚えています。

今の自分の仕事をそうやって目の前で見ていましたが、私自身は母親の仕事を継ごうとか、あんな仕事につきたいとか、そうしたことは微塵も思っていませんでしたし、母親もそんな気はなかったようです。この仕事は能力のあるなしですから、“継ぐ”“継がない”の問題ではないんですね。能力があれば継ぐかもしれませんし、なければ当然、継ぐ資格なんてありません。

現に、初めは普通に地元の企業で働く、普通の会社員でした。そのときは“透視能力”なんて持っていませんでしたし、本当に普通の暮らしをしていました。それがある日、私の人生は180度変わってしまったのです。自分でもまさかこんなことになるなんて思いもしませんでした。

――何があったんですか?

木村藤子さん1

この仕事を継ぐ以前、20代前半のとき、当時おつき合いしていた男性がいたのですが、彼との結婚について母に相談したことがありました。すると、母はそのことを神様に聞くために拝殿へと行きました。数分後、神様の言葉を聞き、居間に戻ってきた母親の顔はさっきとはまるで別人(笑)。「ああ、これはいい答えじゃなかったんだな」ということは、一瞬で悟りました。

苦渋に満ちた顔でただうなだれるばかりの母親からやっとで出た言葉は、

「大変なことに……とんでもないことになって……」

というものでした。

その言葉を聞かされたときは、「え? え? 一体何が起こってるの??」といった感じで、その場の状況を把握できませんでした。こっちは「結婚しよう!」という意気込みで相談に来たのに、目の前の母親の姿は尋常ではありません。

母親の「大変なことになった」という言葉を聞いた私は、ただ黙っていることしかできませんでした。そして、やっとで母親の口から出てきたひと言が、

藤子には気の毒だけど、神様が言われるには、自分の人生をなんら自由にはできない……」

でした。もう、唖然とするしかありませんよね(笑)。「自分の人生をなんら自由にはできない」ですよ? 何が何だかわかりませんでしたから、ひとまず考えを整理するために、「神様はなんて言われたの?」と母親に聞きました。すると母親は、

「実は、神様は“この家の二代目として藤子を使う”、そう言われた。そして、神様は将来、藤子が結婚する相手の映像も私に見せた。それは、藤子がいま交際している男性ではなかった……。でも私は、いくら神様がそう言われたからといって、あなたの母親として、神様の言う通りにしなさいとは言えない。私はあなたの人生を左右できない」

と言うのです。母親は涙を流して泣いてますし、「これはただごとではない」と悟り、逆に冷静になることができました。

いくら母親が「神様の言う通りにしなくてもいい」と言っても、それは無理な話。それで母親に、「よく考えてみる。その人、どこにいるの?」と聞いてみると、どうやら知り合いの会社にその人がいるということだったので、その会社の記念写真を借りてきたのです。そして、その写真の中に写っている男性を指差し、

「この人だ。会いに行ってみなさい」

と母に言われたのです。携帯なんてありませんでしたから、まずはお手紙を書いてみることにしました。女性のほうから手紙を書いたりすることは、当時はとても恥ずかしいことでしたが、事が事だけにかまっていられなかったのを覚えています。相手は見知らぬ女性からの手紙を不審に思ったようでしたが、とても心が広い方できちんとこちらの話を聞いてくれました。

結婚に関して悩んだ時期もありましたが、彼の母親にも不思議な夢のお告げがあり、私が24歳のときに彼が木村の家に入る形で結婚したのです。それが、今の主人です。

木村藤子さん2

――まさに運命の出会いというのでしょうか。すごいお話ですね。

出会いの話を聞くとそう思うかもしれませんが、結婚生活は普通の家庭と変わりません。時にはケンカもしますし、お互いに不満に思う部分もあるでしょう。普通の夫婦です。でも、30代で私の名前が全国に知れ渡ってしまったときから、生活は激変してしまいました。

――1990年の『ヘビ騒動』ですね。

瞬く間に全国区になった“青森の神様”

そうです。当時、地元の百貨店で『世界のヘビ・大爬虫類展』という催しをやっていたのですが、そこで展示されていた体調5メートルほどのニシキヘビが行方不明になったのです。もう街中大騒ぎ。対策室まで作って100名以上の人員を投入しても見つからなかったようで、私のところに相談にやってきたのです。それで見つかる時間と場所を神様に聞いて、お伝えしました。

それからは生活が激変です。全国からマスコミがやってきて、家の周りを取り囲むようになりました。田舎町ですから隣近所にも迷惑がかかります。私が取り上げられた週刊誌やテレビを見て興味半分で相談にやってくる方も激増しました。

私は透視という仕事のことで、家族に迷惑をかけてしまっているんじゃないか? 朝から晩まで相談を受けることで、家族を蔑ろにしているんじゃないか? さまざまな思いが当時の私には駆け巡っていました。そんな思いを払拭するため、朝から夜遅くまで相談者を家に入れ、半ばヤケクソのようにがむしゃらになって働くのですが、そうすれば当然、家族との時間はまったく取れなくなっていきます。

それでも文句ひとつ言わない家族に、私は逆に小さくなってしまったのです。主人なんかは、私に少しでも時間ができると、私に一切、炊事や家事をさせないように気を配ってくれました。家族はいつも温かく、見守ってくれました。

「大丈夫だよ。そんなに気を使わなくても。ちゃんとやっていくから」

主人はいつもそう私に言ってくれました。今の私があるのは、この言葉のおかげだと思います。

木村藤子さん プロフィール
1947年青森県生まれ。地元で有名な霊能者だった母親のもとで育つ。
30代のとき、神の声を聞き、霊視・透視能力を授かる。以来、日々多くの人の悩みを救っている。全国的にその名が知れわたり、「青森の神様」といわれるきっかけとなったのが、1990年の「ヘビ騒動」。地元で行方不明になったニシキヘビが現れる場所、時間を透視によって言い当てた。
著書に20万部突破のベストセラー『「気づき」の幸せ』(小学館)、『幸せの絆』(主婦と生活社)などがある。

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