【MBの"超"思考】「論理」なんて嘘。人生が楽になる「無責任な生き方」。



突き詰めてみれば「論理」とは嘘である。

考えてみて欲しいのですが、世の中に「100%正しい」「絶対正義」といったものが果たしてあるのでしょうか。昭和のヒーローモノの世界でもない限り、水戸黄門でもない限り「正しいか間違っているか」にあらゆる視点で判断できる「絶対」は無いはずです。

営業などで、成功事例を皆が共有しても学んだ全ての人が同じ結果になることはないでしょう。東大に受かった人の勉強法を真似ても全員が東大に受かるわけもありません。犯罪は悪いことですが犯罪者には法を犯す「彼にしか理解できない理由」があったのかもしれません(「社会的に悪い」とは定義できても、「個人的に悪い」までは定義できません)。ある人がつまらないと批評した映画は、他のある人にとっては最高に面白いものでもあるはずです。

論理はどこかに嘘があります。どんなに正しらしいことも、ある視点で見れば正しいかもしれないが、別の視点から見れば間違っているものです。例外無くどんなものでもです。世の中に「絶対」など存在しません。

私は誰かに何かのアドバイスをする時、とにかく文脈や視点を意識して説明します。「〜〜〜こういった文脈においてはこれが正解に近いでしょう」「〜〜〜という視点においてはこれが正しいでしょう」といった様に文脈や視点に限った正解であることを伝えます。毎週配信しているファッションメルマガにおいてもこれは同様です。一分の隙もない完璧な論理など存在しません。

これだけ世の中が発展し、これだけ歴史を繰り返しているにも拘わらす、「確実にお金を稼ぐ方法」は生まれていません。「全ての人が平和に過ごす方法」は確立されていません。「誰もが天寿を全うできる方法」は存在しません。完璧なものはこの世の中には存在しません、あらゆるものは常に、誰かのどこかの視点においては「間違っている」のです。

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