大人より守られるべき存在である子どもたちですが、共感性の強い子は、年下等「弱い相手」に対して自己を犠牲にし譲り過ぎる傾向にあるようです。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、「共感する気持ちが強すぎる子」が将来、DVなどの暴力被害に陥る可能性を指摘するとともに、こうした子どもたちに対する配慮の必要性を訴えています。
「弱い相手」に弱い子どもに目を向ける
「CAP」というNPO法人団体がある。現在の勤務校では、この団体から「子どもワークショップ」「保護者ワークショップ」の両方を開いてもらい、定期的に学んでいる。以下、CAPについての説明文をHPから引用する。
CAP(キャップ)とは、Child Assault Prevention 子どもへの暴力防止の頭文字をとってそう呼んでいます。子どもがいじめ・虐待・体罰・誘拐・痴漢・性暴力など様々な暴力から自分の心とからだを守る暴力防止のための予防教育プログラムです。
力の弱い子どもたちにとって、大変有益な学習である。
この学習における、「誰もが持っている大切な権利」としての中心的キーワードは「安心」「自信」「自由」である。本来、地球上の全ての人に、これが保証されるべきである。しかしながら現実としてそれが成立していないために、このような団体が活動してくれている訳である。
このワークショップの中で、子どもの呟きの一つが気になった。
「自分の権利をとられそうなのに、『いや』と言えない相手がいますか?」
この問いに対し「年上」「大人」「強い人」という答えは、当然出る。その中に「年下…」という呟きが聞こえた。
そう。ここも結構、見落としがちなところである。
心の優しい、共感性の高すぎる子ども(大人も)は、「弱い相手」や「弱っている相手」に弱い。自分を犠牲にして、譲りすぎてしまうのである。大人になってもこの傾向が続くと、配偶者にDVや暴言等の虐待を受けているのに「私が我慢すれば」となる。当然、相手は増長し、行動はエスカレートし続ける。
実は、妹や弟、病気や障害のある兄弟等に、何かと譲って苦しんでいる子どもは、結構多い。そこに対し「わがまま」を言えるぐらいならいいのである。問題は、大人以上に配慮して、全て自分で抱え込んでしまう子どもがいることである。
ここへの配慮が必須である。
子育てだけでなく、学級経営においてもいえる。「手のかかる子」には、教師の目も手も届きやすい。しかしながら、それを傍で見て、やられてもじっと我慢して、何も他人に迷惑をかけない子ども。身近な大人は、ここへこそ、配慮すべきである。
子どもは、基本的に、優しい。一見乱暴に見える子どもも、その優しさゆえに傷ついていることが多い。苦しみが、「暴れる」で発露するか「我慢」で発露しないかという、表現の違いだけである。
暴力を振るう大人を見て真似る子どもは、他人に暴力を振るう形で表現する。自分の受けた苦しみを、他人にぶつけて、更に苦しむ。
暴力に耐える大人を見て真似る子どもは、他人の暴力に耐える形で表現する。自分の受けた苦しみを、抱え込むことで、更に苦しむ。
どちらも、正しくない。理不尽な暴力への抵抗の仕方を学ぶべきである。CAPは、その具体を示している点で、大変有益である。
「全ての子ども」の「安心」「自信」「自由」を保証すること。子どもの教育に携わる大人は、これを常に自分に問いかける姿勢が必要である。
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