バブル景気を経験した世代にとって、「失われた30年」という現実はあまりに重いものですが、その意識は「物心ついた頃から不況」だったという現在の20~30代とは、共有することすら困難なようです。今回の無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』では情報戦略アナリストの山岡鉄秀さんが、このような状況を憂うとともに、このままゆけば日本は中国の属国にもなり得ると警鐘を鳴らしています。
日本再興を不可能にするジェネレーションギャップの罠
全世界のアメ通読者の皆様、山岡鉄秀です。
先日、ある団体から、青年向けの講演を依頼されました。私はよく、講演や講義の冒頭で、「日本の国力がこんなに衰退した理由はなんだと思いますか?」と聴衆に呼びかけます。
しかしその日は、ふと別の考えが頭に浮かんで、次のように呼びかけました。
「日本の国力が驚くほど低下してしまったと思う人、手を挙げてください」
びっくりしたことに、会場の半分ぐらいの人しか手を挙げていません。顔を見ると、中年以上の人が多いような気がします。
次にこう聞きました。
「日本の国力はずっと変わっていないと思う人、手を挙げてください」
するとなんと、残りの半分の人たちが手を挙げているではありませんか。そして、顔をみると、皆若く、20代、30代、といった感じです。
そのうちのひとりに、なぜそう思うか質問してみました。すると彼はこう答えました。
「雇用環境が改善しているし、日々普通に生活できますから。バブルの時代が異常だっただけだと思います」
この答えを聞いてはっとしました。
失われた20年がいつの間にか30年。
すると、今の30代が物心ついた頃、日本は既にバブル崩壊後。20代ともなれば、今の低空飛行が当たり前です。だから、彼らの目には、日本は変わっていない、むしろ、アベノミクスによって、雇用状況は良くなったのだから、事態が改善されているように見えてしまうのです。
考えてみれば当たり前ではありますが、衝撃でした。
今の20代、30代の若者とは、元気だった頃の日本のイメージを共有できないのです。
私が就職活動をしていた頃は、まさにバブル経済がピークに向かって駆け上がっていた途中で、列島が異様な熱気に包まれていました。
もちろん、バブル経済がいいと言っているのではありません。
しかし、あの頃の日本企業の国際競争力は強力で、平成元年においては、時価総額世界の上位100社に日本企業がひしめき、トップ10社のうち7社が日本企業でした。技術力も最先端でした。
就職活動で内定をもらったあと、他社を受けられないように拘束されるなんてことがざらでした。私も「山梨県ブドウ狩り」「芦ノ湖と彫刻の森美術館」「東京ディズニーランド」などで拘束されていました。私の友人は拘束旅行のせいで、第一志望の会社の最終面接を受けられなかったそうです。
確かに、異常な時代だったと言われればその通りなのかもしれませんが、平成のはじめ、世界のGDPのうち18%を占めていた日本のGDPが、今や6%に落ち込んでいます。まさか、ここまで後退するなんて、あの頃の日本人は誰も考えていなかったでしょう。
特にバブル崩壊と共に海外に飛び出した私は、その後目の前で日本国および日本企業の存在感がみるみる低下していくのを目の当たりにしました。
それどころか、なんとか日本法人を助けようと努力して顰蹙までかっていました。アメリカ人の上司にこういわれたのを今でも覚えています。
「君の努力はわかるが、日本なんて、ヨーロッパにおけるイタリアと同じじゃないか。特別扱いする理由はないんだよ」
この経験が今の危機感の根底にあるわけですが、なんと、期待すべき若い世代とその危機感を共有できないのです。彼らが安倍政権を支持しているのは、少しはましな環境を作ってくれたからで、必ずしも「元気だった日本を取り戻す」ためではないのです。
懇親会の席で同じテーブルに座ってくれた若者たちは、みな大人しくて礼儀正しい好青年ばかりで好感が持てました。ただ、なんとなくアルパカの群れに囲まれているような感じもしました。要するに「草食系」でしょうか。ほのぼのしています。
私の隣に座った青年が言いました。
「僕、ゆとり世代なんです」
彼が26歳と聞いて、私は言いました。
「そうか。僕はちょうど君の歳に、日本が窮屈で、自分の人生をリセットしようと海外に飛び出したんだよ」
彼の私を見つめる瞬きしない目が語っていました。
「そんな恐ろしいこと…」