中曽根康弘元首相が29日午前に死去したと、NHKニュース、日本経済新聞など報道各社が速報で一斉に報じた。101歳だった。中曽根元首相は「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄民営化などの行財政改革を推進、外交では日米同盟の意義を強調し当時のレーガン米大統領と「ロン・ヤス」と呼びあう強固な関係を築いたことでも知られている。
【中曽根康弘元首相が死去】
「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘 元総理大臣が亡くなりました。101歳でした。https://t.co/leSFumLcr3 pic.twitter.com/fkQhxRVtUX— NHKニュース (@nhk_news) November 29, 2019
中曽根康弘元首相が死去しました。101歳でした。「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄民営化などの改革を推進。外交では日米同盟の意義を強調し、レーガン大統領と「ロン・ヤス」と呼びあう強固な関係を築きました。https://t.co/BoaSpdqECx
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) November 29, 2019
NHKニュースによると、中曽根元首相は大正7(1918)年に群馬県高崎市で生まれ、昭和16(1941)年に旧東京帝国大学を卒業。当時の内務省に入ったあと、太平洋戦争を経験した。昭和34(1959)年に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として初入閣。防衛庁長官、運輸大臣、通産大臣のほか、自民党の幹事長や総務会長などを歴任した。そして、昭和57(1982)年11月、第71代の総理大臣に就任。総理大臣としての在任期間は1806日と、当時としては異例の5年におよび、安倍、佐藤、吉田、小泉の4氏に次ぐ、戦後5番目の長期政権となった。また、日本経済新聞によると、中曽根元首相は2003年の衆院選前に小泉純一郎首相(党総裁)の不出馬要請を受け、政界を引退。衆院当選20回で、国会議員在職は56年にも及んだという。
この訃報に、Twitter上では中曽根元首相の現役時代の思い出を懐かしむとともに、その死を悼むツイートが多く投稿されている。
中曽根元首相の死去に関するTwitter上の投稿
【訃報】
中曽根康弘 元内閣総理大臣が本日(11/29)逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
葬儀につきましては近親者のみで執り行われます。●中曽根元総理(旧群馬3区・当選20回、在職56年9ヶ月)
内閣総理大臣、通商産業大臣、運輸大臣、防衛庁長官、科学技術庁長官等を歴任— 自民党広報 (@jimin_koho) November 29, 2019
中曽根先生には選挙担当の自民党総務局長としてお仕えし京都二区補選で谷垣さんと野中さんの両方を当選させることができた際、「名医の手術を見ているようだ」と褒めていただいたことをよく覚えています。戦後政治を総決算された素晴らしい指導者でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。小沢 一郎
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) November 29, 2019
【イラクで殉職された奥大使のお墓詣り】
あの日から16年、自衛隊の活動は終了しましたが、今も外務省がODA等の枠組みで、奥大使の意思を受け継いで、復興支援にあたっています。
今日は中曽根大勲位もお亡くなりになりました。
お二人のご冥福をお祈りし、心静かに手を合わせました。合掌 pic.twitter.com/LYVLkcpvCI— 佐藤まさひさ (@SatoMasahisa) November 29, 2019
中曽根康弘元総理の訃報が伝わました。直接には短いご挨拶程度で直接じっくりとお話しさせていただく機会はありませんでしたが、様々な場面で学識・見識にあふれ毅然とされていた姿勢が印象に残っています。政治的見解には違いがありましたが、見習うべき点の多い先輩でした。ご冥福をお祈りします。
— 枝野幸男 りっけん 立憲民主党 (@edanoyukio0531) November 29, 2019
憲法改正を掲げていましたが、議論を愛し、志高く、時代を捉え、日本の未来を見据えた方でした。現在の憲法改正論とは正直隔世の感があります。自民党時代、お世話になりました。ご冥福をお祈り致します。https://t.co/Xj3SXU4iQx
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) November 29, 2019
防衛省昇格の記念式典の記憶は今も鮮明だ。
中曽根康弘先生は防衛庁長官経験者として、自衛官幹部と国会議員を前に、自衛隊の歴史と省への昇格の意義について演説された。
演説の中身といい、原稿に一切目を落とさず朗々とした声で語られたその姿といい、まさに名演説であった。 https://t.co/odIzBgAkA4
— 細野豪志 Goshi Hosono (@hosono_54) November 29, 2019
ご冥福を祈ります。1980年代初頭、北京大学の大ホールで中曽根さんのスピーチを聞きました。「日本に学べ」の機運が高まり、日本の大衆文化は中国を席巻しょうとする時代であった。 https://t.co/p7w8ZdEBmc
— 石平太郎 (@liyonyon) November 29, 2019
【電子号外】中曽根元首相が死去、101歳
PDFはhttps://t.co/9FUG68iPbY pic.twitter.com/okLQwBKsi1
— 上毛新聞 (@jomo_news) November 29, 2019
中曽根康弘氏は所謂「戦後保守」の典型であった。日米安保を重視しつつも将来的な対米自立(憲法改正と軍創設)という二律背反を内包していた。いわば面従腹背の対米姿勢である。しかし現在の保守は、ただひたすらアメリカの言いなりが国益、という堕落に陥っている。もはや戦後保守すら居なくなった。
— 古谷経衡@長編小説『愛国商売』(小学館)発売中! (@aniotahosyu) November 29, 2019
小さい頃のTVのニュースでよく見てたから、今でも『総理』と言って真っ先に思い付くのが中曽根氏だったりする。
しかし101歳って、かなりの長寿を全うされたのね。
昭和の時代がまた一つ遠くなった気がする。
ご冥福をお祈りします…>RT— 緋竜@C97土曜日西F-55a (@fuurai_hiryu) November 29, 2019
子供の頃、総理大臣といえば中曽根総理が代名詞みたいなものだった。
— ワイアイ (@yukassh) November 29, 2019
中曽根大勲位、
亡くなりましたね。
けっこう好きだったけど— 越山かい (@etigoyanohei) November 29, 2019
中曽根さん…むしろ101歳だったのびっくり。大往生だね。
— マリ・モ・リマ (@marimorima2) November 29, 2019
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