去る11月29日、101歳で亡くなった中曽根康弘元首相。メディアではその功績を称える報道ばかりが目立ちますが、当然ながら別の見方もあるようです。米国在住の作家・冷泉彰彦さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、中曽根氏が政権を担った1982年からの5年間を「日本の経済敗戦への重要な転換点」とし、そう判断する理由を冷静な筆致で記しています。
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中曽根政権の5年間で、日本はスカスカ経済へと舵を切った 空洞化の研究その3
中曽根康弘氏が亡くなりましたが、世間にあふれている弔辞は、どれも退屈なものばかりです。日米同盟は強固、国鉄改革は成功、経済が強かった時代、韓国や中国とも蜜月、ということで、まるで聖人君子のような賛辞にあふれているのですから、呆れたものです。
私は、1982年から87年という中曽根政権の時代が、現在に至る日本経済衰退の苦しみ、その元凶となる時代だと考えています。非常に大雑把ではありますが、駆け足でこの5年間を振り返ってみることにしましょう。
1982年は、CDフォーマット決定とIBMスパイ事件が起きた年でした。
CDについては、ソニーが蘭フィリップスと共同で決めたとしていますが、16ビットという低すぎるスペックのフォーマットが普及し過ぎてしまったために、世界の音楽業界、オーディオ業界に計り知れないダメージ、つまり付加価値を高められないという悲劇を招くこととなったのです。
そのダメージが一番大きかったのは日本であり、その後の30年間でゆっくりと日本のオーディオ産業は安楽死していくのでした。iPodiやMP2といったデジタルオーディオを嫌って新しい波に乗れずに転落したというのは、最後のトドメに過ぎません。
一方で、IBMスパイ事件は、半導体技術などコンピュータのハード面では、アメリカを抜きつつあった日本に対抗して、米IBMがソフトにおける秘密主義によって互換機を妨害に出たところ、これに対抗した日本勢の情報収集活動が悪質なおとり捜査の被害に遭ったという事件です。
だったら、日本勢は独自OSの開発に向かえば良かったのですが、アメリカにそこまで汚い手を使われても尚、互換機にこだわったばかりか、ソフト軽視の風潮をつづけたのは致命的でした。差し詰めITの世界における「ミッドウェイ敗戦」というところです。
政治ということでは、この年の4月にフォークランド(マルビナス)戦争が起きています。20世紀も末のこの時期に、西側の民主国家同士が人命を弄んでチャンバラをやったという醜態は、とにかく歴史に深く深く刻まれています。全くもって恥ずかしいことであり、両国がその恥を自覚していないことはもっと恥ずかしいと思います。忘れてはならない事件です。
1983年は4月にTDLが開園しています。別にディズニー文化には敵意は持っていませんが、ここまで裾野の広い大衆文化について、圧倒的に外資に収奪され、民族派は全く太刀打ちできず36年後の現在に至って、益々人気が拡大しているというのは、やはり考えものです。米ディズニーに流れた配当やロイヤリティーのキャッシュは、累積でどんなスケールになるのか空恐ろしい感じもします。
この年は、西独では「緑の党」が、ロンドンでは「女性市長」が誕生していますが、環境やジェンダー差別ということでは、日本の進捗は実に遅かったことが思い起こされます。
一方で、7月には任天堂が「ファミリーコンピュータ」を出しています。これは特筆すべき成果ですし、その後の日本経済やカルチャーへの貢献は計り知れないと思います。それはそうなのですが、反対にコンピュータの分野で、その他には「日本発のグローバルな成功」というのは、ほとんど見られないということには、何とも言えない思いもあります。
1984年は、1月にアップルが「マッキントッシュ」を発売した年でした。このようなハード、ソフト共に独創的なコンピュータを日本が開発できなかったということも、経済における全面敗戦の一つの象徴と言うべきでしょう。
この1984年の2月にはサラエボ冬季五輪が行われました。見事に五輪の大会をホストした国が、内部対立で瓦解し、戦火によって崩壊していったということも、82年のフォークランド同様に、世界は記憶しておかねばなりません。