コロナ禍が始まってからの半年間を「出来事日誌」で中間総括する

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新型コロナウイルスの感染拡大から約半年が経とうとしていますが、すべての出来事を思い出そうとしても、詳細な記憶は薄れつつあるのではないでしょうか。メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』の著者であるジャーナリストの高野孟さんは自身のメルマガの中で、ここ半年間のコロナ禍を時系列に「出来事日誌」として羅列。国内の初感染者確認から、ダイヤモンド・プリンセス号の問題、そして東京で1日の感染者数が400人を超えた8月までを「中間総括」しています。

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コロナ禍から半年余、そろそろ「中間総括」したい

1月16日に新型コロナウイルスの感染が国内で初めて確認されてから6カ月半が経ち、そろそろ中間総括をしなければならない時節である。が、それには余りに多くの検討事項があって到底一個人で成し遂げられることではないので、まずはできるだけ詳しい出来事日誌を整理してみることから始めよう。

コロナ禍そのものの展開過程としては、児玉龍彦=東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクトリーダーの武漢型・イタリア型・国内型の3段階区分が分かりやすい(図1)。彼が7月16日参院予算委員会に参考人として呼ばれて語ったところによると、3月に東京で始まった感染は中国の春節の旅行者由来であるのに対し、4月のピークは3月の欧米からの帰国者がもたらした。下記の日誌で見ると、3月11日に米国が欧州からの入国を禁止し、また日本でも欧州からの帰国者に症状が目立つようになった。

その後、輸入感染は自然に減り始めていたが無症状者で残存し、6月からの広がりは、無症状者が持続的に増え、特に免疫の出来にくいスプレッダーが増えた可能性があり、日本国内に「エピセンター」が形成されてしまった。

エピセンター(図2)とは、児玉によれば、無症状の感染者を含めて多くの人々が出入りする、例えば新宿・歌舞伎町のように感染経路を辿ることなど到底不可能な「感染震源地」と言えるスポットが形成されて、そこからいくつものクラスターの拡散が起こりうる状態を指す。「クラスター対策」を至上とする厚労省のやり方では「エピセンター対策」はできないので、そのために今の第2波爆発寸前の状態が醸されている。

政治的な変転過程としては、

(1) 1月16日に国内で初感染者が出ても政府に危機感はほとんどゼロで、安倍晋三首相は相変わらず夜な夜な宴会三昧。それを見て小泉進次郎環境相も2月16日の政府対策本部の会議をサボって地元で宴会という弛緩状態。その間、菅義偉官房長官-加藤勝信厚労相ラインはダイヤモンドプリンセス号への対応に振り回された挙句、失敗する。

(2) 専門家会議が2月24日「これから1~2週間が瀬戸際」と言い出したあたりで安倍が慌て出し、菅~加藤ラインを退けて今井直哉補佐官が前面に出た。菅にも萩生田光一文科相にも相談せずに全国一斉休校、アベノマスク配布、緊急事態宣言の宣布など派手な演出を思いつきで連発する一方、3月8日には加藤厚労相を差し置いて西村康稔経済再生相をコロナ対策担当相兼任とし、あくまで経済活動再開を優先しつつコロナ対策に当たるという政府の姿勢を鮮明にした。それを背景に3月24日には東京五輪の1年延期を決めた。

(3) しかし4月に入ると、アベノマスクの配布停滞、貧窮家庭30万円が1人一律10万円に変更、PCR 検査の件数増やせず、安倍の自宅で寛ぐビデオ投稿で顰蹙など、失速・迷走ぶりが目立つ。5月には経済活動優先の立場から緊急事態宣言の解除を急ぎ、結果的に国内エピセンター形成による第2波の大波を引き寄せてしまった。

(4) その中で今井は引っ込み、従って振付師がいなくなって安倍は黙り、代わって再び菅が官邸内の主導権を握り直した。とはいえその菅が最初になした大仕事はGO TO キャンペーンの無理やりの強行。これで日本は大丈夫なのか? 

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