小学校教師は「おかしい人」?世間の色眼鏡を覆し教職に誇りを持つべき理由

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「小学校の教師」と聞くと、あなたはどんなイメージを持つでしょうか? 昔は「聖人君子」のように思われていた先生も、残念ながら今の社会ではあまりいいイメージを持たれていないようです。現役小学校教師の松尾英明さんは、自身の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の中で、ネガティブな社会的認識に負けず、教師の仕事にもっと「誇り」を持つべきだと、全国の先生たちに呼びかけています。

仕事に誇りをもつには

今回は、具体的ではなく、とても哲学的な話。仕事術ではなく、教育観に寄った話である。

「仕事に誇りをもつ」というと、大上段に構えているという人もいるし、そんな大した仕事をしていないと謙遜する人もいる。確かに、こういう高尚な感じのする言葉には、そういう嫌味な面が見えることもあるのかもしれない。しかし、特に現代の教職に就く人には、それぐらいの意識がある方が働きやすいのではないかと考えている。

日本において「小学校教師」と聞いて、社会一般はどのように反応するだろうか。あるいは、現役の小学校教師たちは、どのように認識している、あるいは、認識されていると感じているだろうか。

残念ながら、あまり良い印象を聞かない。今まで働いてきた身近なところで聞いてきても、「この仕事は好きだけど、社会に認められているとは感じられない」という人が多い。

試しに、Googleで「小学校 教師」と入力してみる。そうすると、このワードに続いて、予測ワードが出てくる。上から順に「給料」「おかしい」「資格」「苦情」「大変」「大学」「服装」ときた。何だか、残念な気持ちになるワードがいくつか並ぶ。

この社会的な認識のもとで、誇りをもてというのは、なかなかに難しい。そうなると「どうせ」「自分なんて」と思いやすい。

ただ、もしもそんな認識の大人に教わる子どもたちは、どう感じるのか。どんな職業観や倫理観をもつ人間に育つのか。あまり良い影響を与えられなそうである。

やはり、人に教える職業である以上、仕事には誇りをもちたいところである。子どもにとって最も間近で仕事の姿を示す大人である以上、生き生きとしている方がいいに決まっている。だから、教師は周囲の認識より高めの意識をもつぐらいで、ちょうどバランスがいいのではないかと考えている。

特にまだ新卒などの若い人なら、鬱陶しがられるぐらい元気だったり、たとえ静かでも熱心すぎるぐらいだったりする方がよい。がんばろう、挑戦しようという心がなくなった時点で、枯れる、やがては腐る。

諦めて気持ちが枯れてしまうぐらいなら、頑張って挫折した方がずっといい。折れても直せるが、枯れたものは、再生が難しい。また折れた状態からしっかりと立ち直れた場合、以前より格段に強くなる。一方、生活の保障がある程度約束されている分、枯れる方にゆっくりと転げ落ちていくのは容易である。

だから、仕事への誇りなのである。誇りをもっていれば、自分の仕事をないがしろにはできなくなる。

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