なぜ車椅子の美空ひばりがステージ上では立つことができたのか?

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昭和の日本歌謡界の女王として君臨した、歌手の美空ひばりさん(享年52歳)。その生き方は、私たちの人生をより良くするためのヒントにあふれていました。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、作家・小林正観さんが美空ひばりさんの「晩年の知られざるエピソード」を紹介しています。

美空ひばりさんの生き方が教えてくれること

9歳で歌手デビューを果たし、その人生で世に出したヒット曲は数知れず。日本歌謡界の女王・美空ひばりさんの生き方を小林正観さんのお話から学びます。一瞬一瞬を大切に生きたその姿勢は、皆さまの人生をよりよくするヒントになるでしょう。


死ぬ半年ほど前から、美空ひばりは舞台に自分の足で立つことができませんでした。だから緞帳(どんちょう)が下がっている状態のところに車いすで連れていってもらって、そこで何人もの人の手を借りて立たせてもらった。立たせてもらったら車いすは下がって、立った状態で緞帳が上がりました。

すると、歩けないはずだった美空ひばりが2時間ものステージで歩き回って歌ったのです。心臓を調べた医者が驚きました。2,000ccしか肺の中に空気が入らないのに3,600ccぐらいの肺活量で歌っている。これは理解ができないと言いました。

息が続く。「ああー」と音を伸ばすためには3,600ccの肺活量が必要なのに、この人の肺には2,000ccしか空気が入らない。どうして3,600ccの空気が出てくるのかわからない。「奇跡としか考えられない」と、その医者は言いました。

この死を間近にして美空ひばりが最後に歌った歌が「川の流れのように」です。

自分の意思で、自分のわがままで生きてきたのではない。いつの間にか知らないうちに女王に祭り上げられて、すごい人ということになったけれども、彼女は自分のやりたいことを押しとおすために人をかきわけ押しのけて女王にのし上がったのではありません。

やらされることを「はいはい」と言ってやってきたら女王と言われるようになって、歌謡界の最高峰に立っていた。

それを思い出したときに、美空ひばりは本当に万感の思いを込めて川の流れのように」を歌ったのだと思います。

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