投資で手に入れたお金、会社で働いて得たお金、自分で事業を起こして得たお金。私たちビジネスマンは、こうした「お金」の履歴についていちいち気にする必要はあるのでしょうか。ビジネス書のベストセラー作家であり、無料メルマガ「右肩下がりの時代だからこそ、人の裏行く考えを【平成進化論】」の著者である鮒谷周史さんは、自身のメルマガの中で「お金」のことを、あえて「カネ」と表記する理由を明かすとともに、お金の定義を考えることの大切さを説いています。
お金のことを「カネ」と、あえてことさらに表記する理由
このメルマガではお金のことを、あえてことさらに「カネ」と表記することが多いです。この表記を嫌う方も少なくないかもしれません。それを承知した上で、わざわざお金のことを(つねに、とは言わないまでもかなりの割合で)「カネ」と記述しているのにはもちろん理由があります。
それは「お金」と記述した瞬間に「お金に対する、必要以上の思い入れ」が発生するように個人的に感じられるから。(ただの主観です)
お金に恵まれたいと思ったら、
「どういう経緯で手に入れたお金であっても、お金はお金、そこに差はない」
「お金はお金以上でもなく、お金以下でもない」
という、ある種の突き放した認識が必要です。
お金に過度の思い入れや過剰な感情を持ちすぎると
「労働によって獲得したお金」
「事業によって獲得したお金」
「投資によって獲得したお金」
のそれぞれを分けて考えてしまいがちになります。
すると、どうなるか。
「○○時間をかけて(労働して)稼いだお金だから、危険な投資に回せない」
とか、
「投資によって稼いだ濡れ手に粟のお金だから、盛大に使い切っても構わないし、ギャンブル感覚で再投資してもOK」
などと、
「財布や銀行口座に入っている、同じお金にもかかわらず、使い方に差をつけてしまう」
ことになることが往々にしてあるわけです。
しかしお金の本質は、それを手に入れるに至った履歴にあるのではありません。
履歴に関係なく、お金はお金に過ぎません。
手に入れた経緯に必要以上に引きずられてはならず、あくまで「お金はお金そのものとして認識する」ことが必要です。これが「お金を突き放して(主観と切り離して)捉える」ということ。
これができないと、たとえば「パチンコや競馬で儲けたお金だから」と思ってしまい、雑に扱って「悪銭身につかず」を地で行くこととなることがあるのです(経験者談)。
あるいは、
「この株はいくらで買ったから、今、売るわけにはいかない」
という自分視点でのみ(マーケットはそんな都合を一切、忖度しないのに)投資を行ってしまうことになることもあるのです(経験者談)。
お金はたしかに大事だけれども、「お金以上ではなく、お金以下でもない」という風に見切っておかないと、己の目を曇らせ、誤った意思決定を行ってしまう可能性が高くなる、そう私(鮒谷)は考えています。