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まだ会社は辞めるな。副業で才能に目覚めた多角化経営者の成功法則=俣野成敏

副業が普通になった昨今、アルバイトやUberEatsで時間を切り売りするのではなく、「個人事業主」になることが成功への近道だと考えています。今回は「隠れ副業」から始めて今では年商15億円超え企業の経営者になった大竹啓裕さんの経験から、副業の成功法則を探ります。(俣野成敏の『サラリーマンを「副業」にしよう』実践編

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プロフィール:俣野成敏(またのなるとし)
ビジネス書著者、投資家、ビジネスオーナー。30歳の時にリストラに遭遇。同時に公募された社内ベンチャー制度で一念発起。年商14億円の企業に育てる。33歳で東証一部上場グループ約130社の中で現役最年少の役員に抜擢、さらには40歳で本社召還、史上最年少の上級顧問に就任。独立後は、フランチャイズ2業態6店舗のビジネスオーナーや投資家としても活動。投資にはマネーリテラシーの向上が不可欠と感じ、その啓蒙活動にも尽力している。自著『プロフェッショナルサラリーマン』が12万部シリーズ、共著『一流の人はなぜそこまで、◯◯にこだわるのか?』が13万部のシリーズに。近著では『トップ1%の人だけが知っている』(日本経済新聞出版社)のシリーズが12万部となる。自著と共著を交えた異なる3分野でベストセラーシリーズを放ち、著作累計は48万部に。ビジネス誌の掲載実績多数。『MONEY VOICE』『リクナビNEXTジャーナル』等のオンラインメディアにも多数寄稿。『まぐまぐ大賞(MONEY VOICE賞)』を4年連続で受賞している。2020年より、サラリーマン以外の本業をつくるための副業オンラインアカデミー『The Second Phase(TSP)』を創設。数多くのサラリーマンが集っている。

サラリーマンから年商15億円超えの経営者へ

働き方改革の一環として始まった「副業」解禁の流れ。もうこの流れが止まらないことは、あなたもご存じのことと思います。しかし世の中を見回してみると、それで始めた副業といえば、Uber Eatsや個人宅配、アルバイトの掛け持ちなどがほとんどではないでしょうか。

当メルマガでオススメしている副業は、「個人事業主」の一択のみとなっています。自分の事業を興し、それをコントロール下に置くことが、自由を手に入れるための最短距離ではないかと考えるものです。

今回は、特別ゲストをお呼びしています。ストックビジネスの提唱者にして株式会社ハッチ・ワークの代表取締役会長兼CEOを務めていらっしゃる大竹啓裕さんです。

これまで数々の革新的なアイデアを事業に結びつけ、年商15億円を超える企業を育ててきた大竹さんですが、もとは一介のサラリーマンでした。本日は、大竹さんがどのようにして今日に至ったのかをご紹介します。ぜひ、参考にしていただければと思います。

プロフィール:大竹啓裕(おおたけ たかひろ)
20代の時にセコム株式会社に入社。機械警備を売る営業をしながら、社内で理想的なストックビジネスの原点を目の当たりにする。その後、不動産ディベロッパーに転職。オフィスサブリースの運営・営業をしながら、サブリースというビジネスモデルからストックビジネスの本質に触れる機会を得る。30歳でラーメンフランチャイズチェーン(FC)の創業メンバーとして参画。自らもラーメン店を経営しながら、マーケティング理論を実践。本部が10年でチェーンを約300店まで拡大するに際し、自身もFC本部長としてFC本部経営に携わり、ラーメンFC業界全国1位を獲得するまでの一翼を担う。

これらの経験をもとに42歳で起業。業界に革命を起こしたいと、オフィス関連の不動産業を選択する。初期はオフィス仲介事業をFC展開する中で、フロービジネスをFC化する問題点に気づいたことから、ストック性のあるビジネスへとシフトし、複数コンテンツを創造。ミドル世代のコミュニティオフィス「インスクエア」や貸会議室「アットビジネスセンター」、月極駐車場のクラウド管理「月極パートナーシステム」など、独自理論でさまざまなストックビジネスを拡大し、現在の年商は15億円を超える。株式会社ハッチ・ワーク https://hatchwork.co.jp/

※本記事は、大竹さんへの取材をもとに、筆者(俣野)が適宜内容を補って執筆しています。

最初は“隠れ副業”からスタート

当時、サラリーマンだった大竹さんが、初めて副業を経験したのは、セコムの営業マンをしていた時のこと。まだバブル崩壊前のことで、「サラリーマンの副業はNG」だった時代の話です。

セコムでは、基本給が低く設定されている代わりに、営業成績で成果報酬がもらえました。いわば「頑張れば収入が増える」給与体系になっていました。仕事で成果報酬を知った大竹さんは、取引先から「商品を紹介してほしい」と言われ、応じることにしたのです。

副業は今でいうアフェリエイトのようなもので、ハンドドライヤーを紹介し、手数料を得るというもの。副業を始めた理由は「生活費の足しになれば」と思ってのことでした。

副業をやってみてわかったのは、「副業は大変だ」ということ。自分の時間がなくなるし、大竹さんの性格上、売りっ放しにはできません。アフターフォローも含めて、結果的には紹介しただけでは済まなかったのです。

大竹さんは本業も営業だったため、どっちつかずになってはいけないと、結局、3ヶ月ほどで止めましたが、こういう安易な話に乗ると痛い目にあうという教訓を得ました。

その後、大竹さんは不動産ディベロッパーに転職します。転職先は、複数のオフィスビルを所有している会社で、賃貸オフィスのリーシングをする営業でした。

ここでは順調にキャリアを積み、数年して管理職になった大竹さん。ところが、大波乱が生じます。バブル崩壊です。

そもそもバブル生成の要因となったのが、当時、高騰していた不動産でした。大竹さんがいた会社も、存続が危ぶまれる状態にまで追い込まれ、社内ではリストラの嵐が吹き荒れました。

大竹さんは管理職として、その処理に追われていたある日、長年チームで部下だったメンバーが、会社を辞めたと挨拶に来ました。聞くと、「兄と一緒にラーメン屋をやることにした」と言うのです。

Next: 副業でラーメン屋を経営。「花月嵐」は全国1位のラーメンチェーンに

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