年末の番組名『ゆく年くる年』の面白さを考えたら希望が見えた話

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大晦日、いまでも40%近い高視聴率を叩き出す『紅白歌合戦』の放送が『蛍の光』で終わると、厳かな寺社仏閣の映像ともに『ゆく年くる年』が始まります。午前0時をまたぐからこそ成立するこの番組タイトルの面白さをメルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんが考察。気づいたのは、日本語が過去には厳格で、未来には寛容ということでした。わたしたちは、もう少し未来に希望を持って生きていっていいということなのかもしれません。「くる年」がどうかよい年でありますように。

『ゆく年くる年』のこと

紅白が終われば、年末年始にまたがって『ゆく年くる年』という番組が放送される。面白いタイトルである。日本語では動詞の終止形(原形)は現在形というよりは未来形に近いから「ゆく年くる年」は即ち「ゆこうとしている年(2020年)、こようとしている年(2021年)」ということになり、このタイミングでしか言えないということが興味深い。

では、このタイミングというものをもう少し詳しく考えてみることにする。年内であったら、行く年=2020年、来る年=2021年でいい。しかし、年が明けてしまうとどうだろうか。最早2020年は「行く年」とは言えず「行った年」となる。一方「来る年」の方は依然として2021年で大丈夫のようである。

例えば、新年明けてすぐの初詣インタビューなどで「新年明けましたが、行く年2020年はどんな年でしたか?」という言い方が不自然なのに対して、「新年明けましたが、来る年2021年はどんな年にしたいですか?」というのは適文であろう。といっても、この「来る年」にも時限があり、せいぜい正月のうちで2月に入ればどうにもおかしい。

本来、同じ時制を表すなら「行く年」も「来る年」も同時に過去になってもおかしくはなく、実際、「いよいよ新年が明けました。来た年2021年はどんな年にしたいですか?」と言ってもセーフではないだろうか。

つまり、「行く年来る年」という言い方においては「行く」という動詞に対して時制はより厳格であり(年明けと同時に「行く」が不適格となり)、「来る」に対しては比較的緩い(年明け後もしばらくは「来る」が使える)ということである。となると「行く年来る年」の「行く」「来る」には記述されるべき意義の違いがあるということになる。果たしてそうなのだろうか?

ここで、少し見方を変えてみる。自分から見て過去になりつつあるものごとを「行く」という動詞で、現実になりつつある未来のものごとを「来る」という動詞で表現することは日本語において決して定型ではない。例えば「来し方行く末」のように、「来し方」(動詞「来る」)=過去、「行く末」(動詞「行く」)=未来、といった具合に真逆にも使うのである。ここで注目したいのは「来し」が過去形というところである。「行く年来る年」の場合とは逆に、「来る」(ここでは古語「来(く)」)に対して時制が厳格なのである。それは、古語における過去の助動詞「き」の連体形「し」が接続していることで直接過去が明確化されているところからも分かる。

とすれば、ここで言う時制の厳格さは、「行く年来る年」における動詞「行く」「来る」の意義の違いから生じるというよりも、自分(=話者)から見て過去か未来かによって生じるもののようである。

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