ユニークな商品名やCMで消費者の心を掴んで離さないエステー。しかし同社は一時期、深刻な業績不振に陥っていました。そんなエステーを立て直したのが、現在会長を務める鈴木喬氏。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では鈴木氏本人が、いかにして窮状を脱したかを語っています。
エステー会長が明かす「消臭力」誕生秘話
業績不振に陥っていたエステーを立て直し、今日の発展の基礎を築いた会長の鈴木喬氏。CMでもお馴染みの「消臭力」などのヒット商品はどのようにして生まれたのでしょうか。破天荒だったというご自身の歩みを交えて語っていただいた誕生秘話の一部をご紹介します。
兄に請われる形でエステーに入社したのは1985年、51歳の時だった。エステーでも自己流のスタイルを押し通したため、反対者は多かった。しかし、バブル崩壊後の業績不振を立て直すためには、あの“とんでもない奴”に任せるしかないと社内の意見がまとまり、63歳で社長になった。
以降、有無を言わせず、会社に大きくメスを入れてきた。役員を半減させた他、860種あった商品を280に絞り、工場も2ヶ所閉鎖するなど、筋肉質の会社にするため、思い切った決断をした。生き残りをかけて、年間60種出していた新商品を一つに絞り込み、経営資源を一点集中させた。そうして誕生したのが「消臭ポット」である。
当初反対意見ばかりで、誰もが1千万個という年間販売目標を信じなかったが、一点集中という戦略が時代に合致し見事達成。異例の大ヒットとなって、会社は窮状を脱した。
その後発売した「消臭力」、特に冷蔵庫の脱臭剤「脱臭炭」やお米の虫よけ「米唐番」といった新商品はおかげさまで現在8割のシェアを占めている。最後発で市場に参入したエステーがそれを成し遂げられたのは、選択と集中ができていたからだろう。経営者の仕事とは、畢竟「決断」だ。加えて大切なのは「運と勘と度胸」、ドシッと肚を据えること。ちょっと図太いほうが、何事もうまくいく。
ひと昔前には「盲蛇に怖じず」と言ったように、無知ゆえに恐れを知らず、常識に囚われることなく突き進むことができた。いろんな修羅場を潜り抜けた経験があれば、勘も度胸も磨かれる。
とにかく僕がいつも言うのは、最悪の場合を考えろということだ。仕事に失敗したからといって、命までは取られない。会社に勤めていたら、命どころか給料がなくなる心配もない。そう思えば、気楽なものだ。失敗したって首の皮一枚で繋がる。いけしゃあしゃあと厚かましく生きればいい。
※ 『致知』2月号「20代をどう生きるか」より
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