「ムダ」が命を救う。学校に音楽、美術、体育の授業がある深い訳

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音楽、美術、体育といったいわゆる「副教科」に対して、「将来的に何の役にも立たない授業をなぜ受けなければならないのか」などと思ってしまったこと、ないでしょうか。ところが「こんな授業こそ必要となるタイミングがある」とするのは、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさん。佐藤さんは今回の記事で、誰もが納得できるその理由を解説しています。

辛い時にはムダなことに心血を注ぐ

人生を生きるのに衣食住、これを手に入れるために我々は働きます。その衣食住は資本主義に於いては、おカネと交換することで手に入れられるわけですから、簡単にいえばおカネを手に入れるために働いているわけです。

そんなおカネを効率良く、確実に手に入れるために必要なことを我々は学校で習ったわけです。学校教育ってとどのつまり、社会に出ておカネを稼ぐために必要な知識を習得する場なんですね。

ところがその中でほとんどの人には、おカネを稼ぐことに直結しない学問のジャンルがあるんですね。それが音楽、美術と体育です。この3つのジャンルは、この道のプロを目指す人には価値がある知識やスキルですが、ビジネスの世界で生きていくことになる大方の人間には、時間のムダなわけです。

それなのになぜ、子供の頃からお絵描きをしたり、縦笛を吹いたり、逆上がりをやったりするんでしょうか?

それはこの一見ムダなことが、人生のどこかで役に立つからですよ。

人生のどこかで、というのは、それはつまり

 ● あなたが苦境に立たされて辛くなった時

なんです。

なぜかというと、ムダなことというのがあなたの人生に潤いを与えてくれるからなんです。

あなたが辛い状況に置かれた時に、音楽を聴いたり、絵画を見たりしても、状況は全く変化しません。つまり辛い状況を改善するということに対しては、ムダなことはまさにムダでして、何も役に立たないんですね。

でもその時のあなたって、表面上はそんな辛いことを解決させるためにあれこれと、役に立つと思われることをやっているわけですよ。それが奏功しないから辛くなっているわけです。そんな時に、次の役に立つだろうと思われる一手を考えて指すのもひとつの解決への道なんですが、そう考えて指した手が狙った結果を出さないということが続いたら、人間はドンドン疲弊するわけです。

こころが辛いってまさにそういう状況のことですから。

そんな時には、その状況を改善させることに全く役に立たない何かに没頭するべきなんですよ。こんなことをやっても、事態は全く良くならないけれど、それをやっている時だけはこの辛さを忘れられるという何かに没頭すべきなんです。

それが何かというと、ジャンルとしては音楽、美術、体育という学科になるんです。これは現実逃避したくなった時の逃げ場を作る機能があるんですよ。それを学生時代に学ぶわけです。ですからこの学科をバカにしてマジメにやらなかった人は、人生で辛い状況になった時に、その辛さを紛らわす健全な逃げ場を持っていないんですよ。

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