ホンマでっか池田教授が論破、「純粋な日本人」などいない証拠

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人種や国籍、思想等で他人を判断し、異質とみなした相手を排除する人々の増加が話題となって久しいですが、彼らの子孫は滅びゆく可能性の方が高いようです。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では「ホンマでっか!? TV」でもおなじみの池田教授が、さまざまな実例を挙げながら、「異質な他者と交わることの重要性」を説くとともに、純血へのこだわりの先に待つ結末を記しています。

生物も社会も異質な他者と交わることによって進歩する

生命が発生した後で起きた最大の事件は、恐竜の絶滅でもなければ、人類の出現でもなく、真核生物の出現である。真核生物の起源として、現在最も有力な説はリン・マーギュリスが提唱した細胞内共生説である。この説を主張した彼女の論文は、当時の主流の学説だったネオダーウィニズムの教義に抵触していたため、15回の掲載拒否の憂き目にあったのち、1967年「Journal of Theoretical Biology」に掲載された。

私見によれば、この共生説はダーウィンの自然選択説に匹敵する、進化論史上最も重要な学説で、本来ならば超ノーベル賞級の業績だが、彼女は晩年、9.11事件の陰謀説(9.11の同時多発テロにアメリカ政府が何らかの形で関与していたとの主張)に加担して、科学者社会から白い目で見られていたこともあってか、結局ノーベル賞は貰えずに73歳で亡くなった。

共生説は、大きな古細菌と小さな真正細菌(ミトコンドリアや葉緑体の祖先細菌)が共生して、真核生物になったという説である。大きな古細菌の中に小さな真正細菌が入り込み(おそらく、大きな古細菌が小さな細菌を食べようとしたが、消化しきれず)、そのまま共生を始めて、真核生物という画期的な生物に進化したという説だ。異質なものが交じり合うことで、新しい生命体が進化するという考えは、生物は同種以外の他の生物とは交雑せずに、徐々に進化するというダーウィン流の進化論からは遥かに隔たったものだ。

私見によれば、生物であれ人間社会であれ、画期的なことやものは、多くの場合、異質なものが出会ってコミュニケートして共生することによってもたらされる。異質なものを取り入れずに、旧来のやり方を墨守している限り、環境からのバイアスにより徐々に変わることはあるにしても、画期的な変化は望めない。変わるためには異質な他者とのコミュニケーションが不可欠だ。もっと強く言えば、コミュニケーションとは他者と意見を交換することではなく、それによって、自他ともに別のものに変わっていくことなのだ。

真核生物が生まれなければ多細胞生物も生まれず、脊椎動物も哺乳類も人間も誕生しなかったわけで、20億年以上前に細菌(原核生物)同士の共生により真核生物が作られなければ、生物の世界は未だに細菌だけの世界であったはずだ。細菌が突然変異と自然選択により進化するだけでは、どんなに時間をかけても真核生物は現れなかったろう。

「新しいものはすでにあるものの新しい組み合わせから生じる」というのは構造主義の重要なテーゼのひとつだが、これは真核細胞の誕生といった大事件から始まって様々なレベルでみられる。異質なものを受け入れず孤塁を守っているのは、多くの場合滅びへの道であるし、滅びないにしても発展しないことは確かである。

承知している人も多いと思うが、10万年前から7万年前に波状的にアフリカを出てユーラシアに進出したホモ・サピエンスは先住民のネアンデルタール人と交雑した。アフリカに留まったホモ・サピエンス以外のすべての現生人類は全ゲノム中に数%のネアンデルタール人のDNAを有している。最近の研究によるとハイブリッドの中にはアフリカに逆戻りした人もいるようで、アフリカ人からもネアンデルタール人のDNAが検出されることもあるという。

興味深いことに、アフリカ人以外のすべての現生人類は1%から5%くらいのネアンデルタール人由来のDNAを有している。ということはネアンデルタール人と全く交雑しなかった人たちは絶滅してしまったということだ。ネアンデルタール人から引き継いだ最も価値あるゲノム断片は、おそらく耐寒性のDNAで、これを有していなかった人は、ウルム氷期(7万年前から1万年前までの最終氷期)の酷寒に耐えることができずに、徐々に衰退してついには絶滅したのであろう。真核生物の起源ほどにはドラスティックではないにしても、ここでも異質な他者と交じり合った人の子孫は大成功したのである。

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