ネット社会が当たり前の世の中になり、さらにSNSが普及することで問題となるのが「フェイクニュース」の存在です。政治に限らず、芸能人の情報から日常の常識まで、どれが嘘でどれが本当かわからない時代になってしまいました。メルマガ『j-fashion journal』の著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんは、真実とフェイクが渾然一体となる現代の社会で、フェイクニュースに騙されないように生きるため認識しておくべきことを記しています。
真実とフェイクの狭間に生きる
1.曖昧な認識と変化する価値観
我々が物事を認識する時、視覚に依存することが多い。「自分の目で見なければ信じられない」というように。しかし、視覚は意外に曖昧だ。我々は多くの場合、正確な画像データを認識するのではなく、脳が修正した情報を認識している。
たとえば、同じモノを見ていても、同じ色を認識しているかは分からない。木々の葉を見て、「グリーン」だと認識しても、そのグリーンがどのように見えているのかは確かめようがない。色票で色の番号を確認しても、その色票の色そのものをどのように認識しているかは分からない。
また、動画や静止画で伝える場合に、デジタル技術を駆使して自由に修正を加えることができる。アナログの時代には、証拠写真という概念が存在したが、現在は全ての証拠写真に対して修正の確認をしなければならないだろう。同様に音声データに関しても、合成することが可能である。証拠の録音テープも偽造できるのだ。
更に、客観的基準ではなく、主観的な基準の概念は常に変化しており、絶対的な基準が存在しない。
たとえば、美醜の概念や善悪の概念についても時代と共に変化する。
ある時代は「若者の笑顔が美しい」という価値観が主流だが、別の時代には「高齢者の苦悶の表情こそ美しい」とされる。
痩せた女性が高く評価される時代もあれば、豊満な女性が高く評価される時代もある。
現代は「人は平等である」という認識が主流だが、「異教徒は人間ではない」という認識も存在している。
「自死」に関しても、「神が与えた命を勝手に捨てる罪深い行為」とされることもあれば、「自分を犠牲にする崇高な行為」と評価されることもある。
「堕胎」に対しては、現在でも賛成と反対の意見が対立している。