こんにちは。男女が癒し合い、高め合い、元気になれる「真実の性」を伝え続けて18年。真実の性の語り部こと夏目祭子です。
今回は、私のメルマガ「真実の性の語り部・夏目祭子の『世界一わかりやすい“幸せな性”の授業』」から、いわゆる「不倫」についての大胆な提言を展開いたします。
「不倫」という言葉が嫌いなワケ
2010年代に入ってからだろうか。
ここ5、6年ばかり、有名人の「不倫」に対して、マスメディアの報道でも一般市民のSNS上でも、寄ってたかって責め立てる風潮の過熱ぶり、どこか異常なものを感じている人も少なくないのでは?
その風向きの分岐点は、2014年に社会現象となった連続ドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』(フジテレビ系)の大ヒットだったように見える。
いわゆるダブル不倫のカップルがロマンチックに描かれたこのドラマが人気を博したことは、世の妻たちのひそかな「不倫願望」を浮き彫りにしたとも、いやその願望をドラマで満たすことで家庭の平和維持に役立ったとも評された。
ともあれ、これ以降、あたかも反動のように「不倫=悪」と一様に責め立てずにはおかない空気が始まった感がある。
(実はマスメディアがもっと重要なニュースを隠すための目くらましに使われてるんじゃないの?と疑わしくもなるけれど、それはまた別の話としておいて。)
私はこの「不倫」という言葉が、どうにもうさん臭くて嫌いである。
なぜなら、そのやっている行為を単純に表す言葉は「婚外恋愛」だったり「婚外○ックス」に当たるだろうに、その代わりに常用されている「不倫」という言葉の本来の意味は「倫理に反すること」──つまり「罪深い行為」という価値観を、先にかぶせた言葉の使い方なのだから。
だから「私、不倫してるんだよね」というと、たとえその行為に対する意識が、カタカナ言葉の「フリン」と書くほどに軽い人であっても、「私は罪を犯してるんだよね」と言っていることになるわけだ。
そういう言葉を、無自覚に使っちゃっていいの?と危ういものを感じるのである。
じゃあそもそも何の倫理に反してるの?とあらためて問い直してみれば、それは「封建時代の倫理」なのである。つまり、人妻とその情夫が実行した婚外の情事が「犯罪」として罰せられていた時代の倫理だと言えるのだ。