モンデール元駐日米大使死去 副大統領経験、93歳―普天間返還合意に尽力

2021.04.20
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by 時事通信




  • 米軍普天間飛行場返還で合意し、共同会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日米大使(肩書きは当時)=1996年4月12日、首相官邸

 【ワシントン時事】米国の元副大統領で、クリントン政権で駐日大使を務めたウォルター・モンデール氏が19日、中西部ミネソタ州の自宅で死去した。93歳だった。複数の米メディアが伝えた。大統領選に出馬した経験を持つ大物政治家で、大使としては1996年の米軍普天間飛行場返還合意を当時の橋本龍太郎首相と共に発表し、沖縄の基地負担軽減に取り組んだ。
 28年、ミネソタ州セイロン生まれ。学生時代から政治に関わり、32歳の若さで同州司法長官に就任。上院議員を経て、77年に発足したカーター政権の副大統領となり、国内外を精力的に訪問するなどして「行動する副大統領」と呼ばれた。
 ただ、景気低迷やソ連によるアフガニスタン侵攻を許したことなどが要因となり、80年の大統領選でレーガン陣営に敗北。84年の大統領選では自ら大統領の座を目指したものの、レーガン大統領に歴史的大敗を喫した。
 その後は故郷のミネソタ州に戻って弁護士活動をしていたが、民主党のクリントン政権下で駐日大使に指名され、93年9月に着任した。当初、駐ロシア大使就任を打診されたが、大学時代に陶芸など日本文化を学んだ親日家のジョーン夫人の意向もあり、日本行きを望んだという。
 95年に沖縄県で発生した米兵による少女暴行事件では、報告を受けると直ちに全面的に謝罪する方針を決め、反米感情の広がりを食い止めようと腐心した。その後、橋本氏との信頼関係を基に「秘密外交」を展開。ホワイトハウスとのパイプも生かし、普天間飛行場の全面返還合意にこぎ着けた。一方、日米間の貿易摩擦に関しては交渉の前面に立ち、強硬姿勢で臨んだ。
 現在96歳のカーター元大統領はメディアへの声明で「親愛なる友人で、私にとって米史上最高の副大統領だったモンデール氏の死を悼む」と弔意を示した。(2021/04/20-12:07)

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