自殺未遂も。絶望の10代を過ごした宮本亞門が演出家を目指した訳

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炎上を覚悟で東京五輪の開催中止を訴え、各所から称賛を受けている宮本亞門さん。今でこそ華やかな世界に身を置く宮本さんですが、かつては自殺未遂を繰り返す絶望の日々を送っていたと言います。そんな宮本さんを演出家の道に導いたのは、どんな思いだったのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、宮本さんご自身がそのきっかけと、演出家が命を賭すに値する仕事であると確信した瞬間を語っています。

「演出家には最も遠い人」だった宮本亜門の20代

世界的な舞台演出家として活躍中の宮本亜門氏ですが、10代の頃は自殺未遂を繰り返す引き籠もりの少年だったといいます。その宮本さんはどのようにして自らを大きく変革していったのでしょうか。

『致知』最新号「20代をどう生きるか」にて、自身の若い頃の思いを語ってくださいました。


「演出家には最も遠い人」

周りからそう揶揄されるほど人見知りで気の弱かった僕が、演出家という夢を掴み取ることができたのは、ひとえに強烈な願望を抱き続け、諦めなかったからでしょう。

人とうまくコミュニケーションを取れず、生きる希望も見出せなかった10代は、自殺未遂を繰り返し、引き籠りも経験しました。そんな暗闇の中でも夢を見つけ、失敗を重ねつつも演出家になった僕の、決して煌びやかでない歩みが少しでもお役に立てればと願い、振り返ってみたいと思います。

そもそも演出家を志したのは、高校2年次の1年間の引き籠りがきっかけです。友人と趣味や話題が合わず、真っ暗な自室に籠ってひたすらレコードをかけて一人でミュージカルやクラシックに聴き入っていました。その中で、音楽の素晴らしさや世界観に心を動かされ、次第に生きる力が湧いてきたのです。

その感動を何とか視覚的に表現し、多くの人と分かち合いたい。その純粋な思いが原点となり、18歳の時に演出家を目指したのでした。

演出家の中にはダンサーとして活動を始め、振付師を経て最終的に演出を手掛けるようになった人が多かったため、僕も様々なオーディションに参加し、21歳の時にプロのダンサーとしてミュージカル『ヘアー』に出演しました。ところが舞台初日の朝、長く病を患っていた母が亡くなってしまったのです。母は元松竹歌劇団のダンサーでした。その母の死に際し、「これからは一人で頑張らなければ」と、込み上げてきた思いのままにニューヨークに飛び、ブロードウェイで初めて生のミュージカルを観ました。

その時の感激は忘れもしません。自らの命を削るが如く、舞台で懸命に演じる役者の姿に打ち震え、全身に鳥肌が立ったのです。当時の日本では、「ミュージカルは女・子供がやるものだ」と少し差別的なイメージを持たれていました。しかし、自分の目で本場のミュージカルを見て、演出家という仕事は命を賭すに値する仕事であると確信を得たのです。


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