去る5月1日、福島第1原発の事故により全町避難が続く福島県双葉町にビジネスホテルがオープン。その記念式典に招かれた元衆議院議員の石川知裕さんが、現在の双葉町を自身の目で見て、その様子とともに復興案をメルマガ『石川ともひろの永田町早読み!』に綴っています。7市町村で東京23区の半分強、大阪市の1.5倍にも及ぶ広さの帰宅困難地域を抱えた市町村には、戻らない決断をしている旧住人が多数います。「戻れない街」の問題を尖閣諸島、竹島、北方領土のようには声の上がらない「領土問題」として認識し、どう復興するかは、国家が全力で取り組むべき課題であると訴えています。
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時が止まった街/原発爆発から10年ーー福島県双葉町を行く
時が止まっている……。
国道6号線を北上し大熊町に入ったときに感じた。
原発事故当時の状況のままで建物が残っている。 建物は傷んではいるものの、まだ使えないこともない感じだ。
しかし、周りに伸びている雑草や植え込みの木が年月の経過をあらわにしている。 双葉町に入る時に、「ここは帰還困難区域 高線量区間を含む」という看板があった。
体の中に緊張感が走った。
コロナ禍で移動自粛を呼びかけられているのに、なぜ私は福島第一原発の地にいるのか。 地元の支援企業である株式会社アルムシステムが双葉町にビジネスホテルをオープンするにあたり来賓としてご挨拶を依頼されたからである。
4月28日朝、東京から常磐線を乗り継ぎいわき市に到着。 大学時代の先輩で保育園を経営している宮内先輩にお迎えに来ていただき、昼食を保育園でご馳走になった後、レンタカーで双葉町に向かった。
いわき市も被災地であるが、復興は進んでいる。 しかし、北上するにつれて次第に原発事故の爪痕を感じるようになってきた。
大熊町、双葉町に入ると国道の脇に入ることはできない。 全て通行止めになっており、自由に街の中へ入ることはできないのだ。 北上する車はまばらで、私の前にはパトカーしかいない。 南下してくる車はほとんどがダンプカーなど作業車である。
朽ち果てている建物も見える。 だが、建ち並ぶ住宅にはいまも人が住んでいるかのようだ。 時が止まったように見える。
津波で避難した人は、目に見える災害なので避難することに納得もいっただろう。 だが、眼前の風景を見ながら、原発事故に遭って避難した人は「何もないのになぜ」と思う人も多かったのではないか。 そう思えた。
ようやく双葉町に入り国道の脇道に入った。
私は信じられない光景を目の当たりにすることになった。
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