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なぜ菅政権は拝金主義のIOCに服従?強行開催でも感動で支持率回復という思い上がり=今市太郎

いつからIOCは拝金主義に変わってしまったのか。東京五輪で選手が感染しても、IOCは責任を取らないとの書面にサインを求めています。菅政権がまったく反発しないのも不思議です。もしやまだ、東京五輪で支持率が浮揚すると考えているのでしょうか。(『今市的視点 IMAICHI POV』今市太郎)

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※本記事は有料メルマガ『今市的視点 IMAICHI POV』2021年5月29日号の抜粋です。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め初月分無料のお試し購読をどうぞ。

いつから国際オリンピック委員会(IOC)は拝金主義になったのか?

私は今から26年前、スイスのジュネーブで開催される4年に1度の世界的な通信イベントで、そこに出展するクライアントのブース設営と運営のために、3か月弱ジュネーブに滞在していたことがあります。

その時の休みの日に、クルマで訪れたのがローザンヌにある「オリンピック博物館」でした。

ちょうど1993年頃に開館したその建物は、湖に隣接した古き良き町ローザンヌにちょうどマッチしたもので、決して華美ではありませんでしたが、IOCの本部に隣接してひっそりと佇んでいた印象がありました。

それから四半世紀が経過した2019年、IOCは、この地に新しい本部のビルを建築しています。

新しい建物はガラススチール製のかなり豪華なもので、IOCの現実を如実に物語るかのような、カネのかかったものに変貌を遂げていました。

今、東京五輪を目前に控えて登場するIOCの重鎮は、かつての公平公正なオリンピックを開催してきた国際的に中立な組織ではなく、すっかり拝金主義に偏った組織と、かなり傲慢なトップに
なってしまった感があります。

もとから我々の錯覚だったのか、あるいはこの数十年で大きな変貌をとげたのか。

いったい、この組織はどうしてしまったのでしょうか?

相当な五輪好きでも、足もとの本邦の現状では心から楽しめない

1964年に日本で開催された東京オリンピックは、まさに第二次世界大戦の敗戦から見事に復興を遂げて、先進国の仲間入りを果さんとばかりに発展する日本・東京という街で開催されました。

前回の東京オリンピックは、本当に多くの人たちに希望を与え、さまざまな競技に人々が熱狂し、感動をもたらすイベントとなったことは間違いありません。

しかし、この7月に強硬開催されようとしている57年ぶりの東京五輪には、まったくそうした期待も熱狂も感じられず、かなり別物になった感が否めません。

それもそのはずで、新型コロナの感染で多くの国民の生活が影響を受け、人によっては仕事も家族も失うという事態に追い込まれているわけですから、悠長に五輪開催を楽しみにしているなどと言える人は本当にごくわずか。

かつての東京五輪の高揚感を記憶している限定的な高齢者だけが、依然として現実離れした期待を維持し続けているだけなのでしょう。

全国各地に出されている非常事態宣言は案の定、菅政権の無策の中で6月20日までの延長が決まりました。このままでは、非常事態宣言下で五輪が開催される可能性すら、高まりをみせています。

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