逆境は反骨精神に変える。全国展開の「情熱ホルモン」創業者が語った気概

情熱ホルモン
 

先月亡くなった「情熱ホルモン」などで知られる五苑マルシン創業者の川辺清氏。病や困難を乗り越えて25歳で会社を創業し、全国展開するまでに至ったそのバイタリティはどこから来ていたのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、川辺氏の幼少期の体験を明らかにし、その謎に迫っています。

俺は五円玉や、五円玉なら五円玉の輝きを見せてやる

川辺清氏は、全国に200店舗を展開し、3,000人の従業員を擁する外食グループの代表である。

川辺氏は子供の頃、病で左足が不自由になり、貧乏ゆえにガリガリに痩せていた。

父親は靴の修理が生業で、家族を引き連れて各地を転々とする生活だった。だが、氏は足手まといということで、あちこちの親戚に預けられて育った。足が不自由でよそ者の氏は、どこに行っても恰好の虐めの対象だった。

小学3年生の時に預けられたのは姉の嫁ぎ先だったが、ここでは殊に酷い虐待に遭い、母に連れ戻しに来てもらった。

「堪忍やで、清。堪忍な……」

──泣きながら抱きしめてくれた母の温もり。それが氏を支えるすべてだった。

戻った家に父はいなかった。父に対面したのは母が病で寝込み、父のところから米をもらってくるように頼まれた時だった。胸を躍らせて訪れた父の住まいには見知らぬ女性がいた。

「おまえのような者は知らん」

思いもかけない言葉で追い返された氏は、その帰り道で自らに誓った。

「あんな男に負けてたまるか。俺は絶対あの男の上にいってやる。そしてお母ちゃんを楽さしたる」

中学を出ると靴職人のもとに年季奉公に出た。朝6時半から夜中の12時まで、休みは月2回のみだったが、早く一人前になりたい一心で懸命に働いた。

ところが、2年後に結核を患い、家に追い返される。俺は本当に駄目な奴だ──絶望した氏は命を絶とうと列車の機関車めがけて飛び込んだ。

だが、気がつくと傍の草むらに倒れていた。ふと見ると、自分の身代わりになったように、ポケットから転がり出た五円玉が機関車に踏み潰されて線路に乗っていた。

俺は五円玉や、五円玉なら五円玉の輝きを見せてやる──新たな決意に病魔も退散し、年季奉公を全うし、25歳で会社を創業、その後も数々の困難を乗り越え、今日を築いた。

image by: MASA  / CC BY-SA 3.0

致知出版社この著者の記事一覧

京セラ・稲盛和夫氏、サッカー日本代表・岡田武史氏など、人間力を高める月刊誌『致知(ちち)』に登場した各界一流人の名言や仕事術など、あなたの「人間力アップ」に役立つ情報を配信中。

無料メルマガ好評配信中

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 致知出版社の「人間力メルマガ」 』

【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

print
いま読まれてます

  • 逆境は反骨精神に変える。全国展開の「情熱ホルモン」創業者が語った気概
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け