強豪ひしめく宮城県予選を勝ち抜き夏の甲子園に初出場し、初戦で愛工大名電高校から大金星を挙げた東北学院高校。しかし選手1名の新型コロナ陽性が判明し2回戦の出場を辞退した学校側の決断に対して、各所からさまざまな声が上がっています。この判断に対して「最もしっくりくる」とするのは、同校野球部OBで、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」を運営する引地達也さん。引地さんはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で今回、そう受け止めた理由を綴るとともに、他者への配慮が表現された主将のコメントを称えています。
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コロナ患者1人の甲子園辞退の東北学院から学ぶ「世の光」
第103回全国高校野球選手権で初出場し初戦に強豪、愛工大名電高校を破った東北学院高校(宮城)が、選手1人にコロナ陽性者が出たとして二回戦を辞退し、甲子園を去った。東北学院高校は私の母校であり、この野球部でプレーした高校球児でもあったから、辞退決定への私自身の反応は、感情的になるから、即座に反応し言葉にするのを控えてきたが、数日経てあらためてここに書きたいと思う。それは、その決定時から感じたことで、適切な判断であり、母校らしい決定であると。スポーツ紙はこの決定に疑問を持ち、宮城選出の国会議員も選手への同情心を示すコメントを出しているが、私にとってどれも違和感を覚えるのだが、辞退の決定が母校の決断として最もしっくりくるのである。
もちろん、これは私個人の感覚ではある。東北神学校から始まった東北学院は中高一貫でキリスト教教育を基本として、毎朝全校生徒が礼拝堂に会し聖書を読み讃美歌を歌うところから1日が始まった。クリスチャンの生徒は少数派だが、その日々の礼拝は自然と「世の光」「地の塩」など、人が社会であるべき姿を聖書の文言から口にするようになる。この尊大な聖書から導かれたメタファーを生活に取り入れるには、大きなきっかけが必要で、私にとって「毎朝」の礼拝はその機会でもあり、聖書を読み、そして欧米社会の価値観を基底している数々の言葉に触れた。それをもとに高校では友人と聖句を皮肉ってみたり、聖書の物語をなじってみたりもしたが、それは思春期の中で必要な遊びだったのだと思う。こんな中高で私も野球をやっていた。
今回の決定について、渡辺徹監督は「感染対策は十分にやったつもりだったが、選手を守れず、申し訳なく思う」とコメントしたという。渡辺監督は同校OBであり、私は中学高校と一緒にプレーをした1つ上の先輩、絶対的なエースだった。さらに幼いころから知る親戚でもある。当時の東北学院高校は仙台駅に近い市街地にあり野球のグラウンドがなかった。そのためマイクロバスで30分かけて、東北学院大学の野球場まで移動し練習していた。
もちろん、野球のために入学する生徒は皆無。授業後に往復1時間の上にハードな練習に勉強の時間が取れないことで、辞める部員も多く渡辺監督の時代は同学年でチームが構成できなかった。そんな中でも渡辺監督は抜きんでた存在で、強豪校相手に圧巻のピッチングを見せていた。この渡辺徹さんがいたから、私はこの人以上のプレーはできないと野球を断念したことは、まだ本人には伝えたことがない。
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