私は家事を「必要だけれど重要性は低い」と考えており、徹底的に手を抜くようにしています。「手を抜いたら(家族が)かわいそう」などと非難してくる人がいますが、余計なお世話でしょう。家事は悪く言えば「自己満足の世界」であり、いくらやっても1円にもならないもの。全力で「手を抜く」のが正解です。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』午堂登紀雄)
※有料メルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』2021年9月13日号の一部抜粋です。興味を持たれた方は、ぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:午堂登紀雄(ごどう ときお)
米国公認会計士(CPA)。1971年生まれ、岡山県出身。中央大学経済学部 国際経済学科卒。株式会社エディビジョン代表取締役。一般社団法人 事業創造支援機構代表理事。
家事は自己満足の世界。いくらやっても1円にもならない
「手抜き」とは、重要でないことにかけるエネルギーを省略し、いかに本質的に重要なことに時間と労力をかけるかという、戦略的な発想であり行為だというのが私の考えです。
そして今回は「家事」に焦点を当てて考えてみました。
私個人は、家事は「必要だけれど重要性は低い」だと考えており、徹底的に手を抜くようにしています。
むろん、「ていねいな暮らし」と称して、家事に手をかけるという人の価値観まで否定するものではありません。おうち時間が長いとか、家の中で過ごすことが無上の喜びという人もいると思います。
ではなぜ家事は重要でないと考えるかというと、これは私の個人的な行動指針ではありますが、「お金にならないこと、人との信頼関係につながらないことはしない」だからです。
そもそも家事をいくらやっても1円にもなりません。お金にならないどころか、時間と体力を消耗するだけです。
また、生活を維持するためには「当たり前」のことですから、基本的に誰かに感謝されるような性格のことでもないでしょう。
むろん家族に対し感謝の気持ちを忘れないという姿勢も殊勝ですが、毎日毎日、何年も何年ものことですから、いちいちそんな気持ちなど持ち続けられないというのが正直なところだと思います。
それに、家事は家庭内のことであり、他人にはうかがい知ることのできない密閉空間ですから、それで他人から信頼が厚くなるということもない、悪く言えば「自己満足の世界」です。
家事は徹底的に「手抜き」が正解
子どもが親の生活態度を見て、身辺自立などの生活力を学ぶという側面は否定しませんが、一人暮らしをすれば強制的にそういう環境になりますから、さほど教育効果として重要だとも思えない。
であるならば、家事に時間や労力を割きたくない。
たとえばわが家では家政婦を雇って家の中の掃除・片づけを外注しています。これも、家事をやる時間があれば仕事に充てた方がトータルではメリットが大きい、と考えているからです。
家事に毎日1時間かけるならば、その時間をたとえばこうして原稿を書くなどをした方が、コストを差し引いても儲かる。
家事に労力をかけるより、その体力を温存し、夕方小学校と保育園から帰ってくる子どもたちと遊ぶ方が重要。
掃除も片づけも外注できるから、子どもたちが部屋を散らかしても、イライラしたり叱ったりすることもなく、鷹揚に構えていられる。
「しかし、それでは掃除や片づけの習慣がつかないのでは?」と思うかもしれませんが、学校や保育園では掃除も片づけも強制されていますから、できないわけではない。
家の外でできることなら、必要な状況になればできるはず。ならば家の中では何をやってもいいという自由を与えています。
家庭は子どもにとっての安全基地。窮屈な制限などないほうがよかろうというわが家の方針です。
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