将棋の藤井聡太竜王が最年少で多くのタイトルを獲得し、将棋界だけでなく日本全土が彼に注目していますよね。そういった天才ともいえる人が現れると書店に並ぶのが「天才を育てるための本」です。無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』の著者である真井花さんが、そんな風潮にひとこと物申しています。
不出世の天才現る
さて、本日は天才のお話。
将棋には詳しくないんですが、隠れ将棋ファンのオットが興奮しています。
- 藤井聡太、最年少四冠達成
です。オットに言わせると、
- かつて羽生が出てきたときと同じくらいの衝撃
- これから30年くらいは藤井君の時代
- 強すぎてアンチが出てきそうなレベル
だそうです。なるほど、スゴいことだけは良く分かった( ̄∇ ̄)
特別活躍する人が現れると、本屋に積まれるのが
- ●●の育て方
ってヤツです。子供全員を医学部に入れたとか東大に入れたとかプロスポーツ選手にしたとか、そういう親御さんや教師の本ってありますよね。
え?読んでる?え?そうなの?
- 落ち込みませんか?
そんなん読んで。
思うんですが
- 天才は現れるもの
だと思いますよ。育てるものではないのですよ。
現れるという語彙の中には、親にも子供にもそれ以外のものにもどうにもできない何かがあることが認められています。そもそも天才なんですから、
- 今現在の知性の延長線上にはいない存在
なんですよね。誰かがドリルをたくさんやらせたからってなるもんじゃない可能性が高いんです。
それに対して、育てるものという語彙の中には
・親のアプローチの正しさを認める
ニュアンスがあります。もともとの子供の素質もあるでしょうがそれを上手く引き出せたアプローチの良さ、粘り強さ、アイデアタイミングの良さ。もっとハッキリ言えば
・親の育て方が良かったから
天才になれたというニュアンスです。
これ、一面の真理はあるんでしょうが、私は危険な言い方だと思っています。親の育て方が良かったから、というなら
・親の育て方が悪かったから
●●になったという言い方もまたできるはずです。すなわち、子育てについて
・親に過剰な責任を負わせている
と思うんです。この背景にある考え方は、子供はまっさらな存在でアプローチ次第でどんな風にも育てられる──科学者だろうが作家だろうがアスリートだろうが──というものです。こう言われると、そんなこと思っていないと感じるかもしれませんが、親の責任が絶大だということを子供の側から言っただけですよ。
一般的な使い方と違いますが、藤井君みたいな天才って
・子ガチャ
なんじゃないですかね。たまたま天才に当たったんですよ。親が出来ることが微塵もナイとはいいませんが、天才がその才能を如何なく発揮するために
・小石を退けてやる
くらいのことしかできないんじゃないんでしょうか。
藤井くんの育て方みたいな本や東大生の親の声かけみたいなブログを読んで自分を追い詰めない方がいいと思うんですよ。
子供も親も、ガチャ的な部分はきっとある。天才という当たりガチャだっただけですよ。
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