菅前首相が2050年までにカーボンニュートラルを実現すると宣言。目標達成のためには、稼働休止中の原発を再稼働させる必要があり、耐用年数を超えての稼働も容認すべきと訴える声は小さくありません。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、原子力エネルギー推進派ほど「カーボンニュートラル」を声高に言うと警戒します。山崎さんは個人的な意見として、原発を容認できる4つの条件を上げ、日本はどれにも当てはまらないと主張。原発という癌と炭素排出という代謝異常のどちらの治療を優先すべきかは自明と、持論を述べています。
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カーボンニュートラルのこと
ウラン235はクリーンと言えるのだろうか。仮に自分が原子力エネルギー推進派の大立者だとしたらきっとこう言う。「電気の需要は年々増加している。さらにカーボンニュートラルは世界的な要請でもある。この両方の課題をクリアするには原子力以外にはない」。これは、ただただ炭素(カーボン)を悪者扱いしておけば環境にやさしい思想の持ち主のように見えて来る、という短絡の悪用である。
そういう訳で今我々が最も注意しなければならないのが声高にカーボンニュートラルを言う人である。世界中の人が悪いと分かり切っているやつを悪者と言うのは誰でも出来ることだからだ。逆に言わんでものことをわざわざ言うからには何か裏があるのでは、と勘繰りたくなるくらいだ。
実際、昨今半ばお題目のように唱えられる、この「カーボンニュートラル」という環境用語には自分自身全く何も感じないのである。おそらくそれは本来なら同時進行的に行われなければならない原子力というものへの評価について何の言及もなされていないからであろう。分かり易く言えば、安心できる悪者をみんなで名指ししてその裏に隠れている不気味な巨悪を敢えて無視しているような、そんな気持ち悪さがあるのである。
これは飽くまでも個人的意見だが、原発を容認していい条件とは以下に挙げるものくらいであろう。
- 国内に豊富なウラン鉱床がある
- 使用済み核燃料の最終処理の方法が確立している
- 地震がほとんどない
- 核武装している(原子力を動力にする空母、潜水艦を含む)
日本はどれも当てはまらない。つまり相当な無理をして原子力発電を正当化しているということである。
言うまでもなく、原子力発電は、計画、設計、建設、運用、保守管理等々、そのどの段階においても最高レベルの厳格なルールの下で行われなければならないものである。つまり思っている以上に高くつくのである。その間、みんなの大嫌いな「カーボン」を大量に出しながらである。
しかも一たび事故が起これば福島の例を挙げるまでもなく、その環境へのインパクトは計り知れない。思い出してもらいたい。福島産の食品がアメリカでの輸入規制の対象から完全に外れたのはついこの間のことである。
我が国の原子力政策は既に詰んでいるのである。今やどんなおいしい条件を当該地域住民に示したとしても原子炉の新造は難しい。かと言って古い物を使い続けるのはなお怖い。しかもその間出続ける使用済み核燃料の恐ろしさ危うさは「カーボン」の比ではない。
誤解を恐れずに本音を言えば、脱原発の過程で一時的に炭素排出量が増えても構わないとまで思っている。そのため(脱原発の時間稼ぎのため)にどの業界も炭素排出をぎりぎりまで削る努力を今までして来たと捉えることもできるからである。
これは優先順位の問題である。人間の身体で言えば、癌か代謝異常か、どちらの治療を優先すべきかということである。両睨みが難しければまず癌からだ。然る後に代謝異常を中長期的に治療すればいい。
誰もが簡単にうなずけるようなまっとうなことほど実は危なかったということも人間の世界ではよくあることである。という訳で少なくとも、お題目「カーボンニュートラル」にはもう少し警戒してもいいような気がするのである。
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