日本人が知らない、ファッション界における「文化盗用」と「差別」の歴史

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さまざまな面で語られる日本人の特異性ですが、ファッションの世界においても外国人に驚きをもって受け止められているようです。今回のメルマガ『j-fashion journal』ではファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、ファッションと差別や偏見について、その歴史を紐解きつつ解説。さらに「文化盗用」という概念を持たない日本人に対する外国人の反応を紹介するとともに、あらゆるものが共存する日本について私見を述べています。

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ファッションと文化盗用、偏見、差別

皆さん、こんにちは。今回はリクエストをいただき、「ファッションと差別」というテーマを取り上げようと思います。

昔々、ファッションは白人の先進国のものでした。お金持ちのデザイナーが世界中を旅行して、そこから着想を得て、コレクションを作る。あるいは、博物館でみた世界各国の文化や芸術品から着想を得て、コレクションを作る。それを白人の顧客が購入する。別に何の問題もなかったわけですね。

ところが、白人支配が弱まるにつれ、ファッションは世界に拡大していきました。

そのあたりから、いろいろと揉めるようになったんですね。そんな話です。

1.ヨーロッパが認定して価値が生れる

ファッションの源流は、ヨーロッパの貴族階級の服装です。貴族の服を作る専門職が存在し、高度な手仕事で一点ものの服を作っていました。これがオートクチュールの原点です。

貴族階級が消え、オートクチュールの顧客はブルジョアジーに変わりました。

その後、大量生産の時代になりますが、ファッションは手工業の世界に留まっていました。

日本が本格的な既製服の時代になったのは、1970年代以降であり、それ以前はオーダーメイド主流でした。

プレタポルテは高級既製服と訳されますが、これは、オートクチュールの手仕事の技術を駆使して複数の商品を作るようになったということであり、大量生産の既製服(レディメイド)とは異なります。

1970年代になり、既製服出身のデザイナー、高田賢三がパリでデビュー。オートクチュールの正当な流れを組むサンローランと人気を二分するようになります。

サンローランは世界中の民族衣裳を熟知しており、それらから着想を得たゴージャスでエレガントなコレクションを発表しました。高田賢三も世界の民族衣装に着想を得ましたが、こちらは当時の若者が支持したヒッピーの思想にも通じるコットン中心のフォークロアファッションでした。

その両方をパリ市民は支持したのです。白人がサンローランを支持し、有色人種がケンゾーを支持したのではありません。この頃は「文化盗用」という概念はありません。サンローランもケンゾーも文化盗用と批判されたとはありません。

なぜなら、文化の中心はヨーロッパであり、ヨーロッパで評価されたもの以外は文化と認定されなかったからです。大英博物館やルーブル博物館に収蔵される世界各地の文化遺産も、評価され収蔵されたから文化と認定され価値が生じたと考えられていました。価値あるものを盗んだのではなく、ヨーロッパが認定したから価値が生れた。それが当時の常識でした。

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2.ヨーロッパが服装の規範を決める

ファッションのルーツはヨーロッパにあります。ヨーロッパの階層社会、キリスト教文化、気候風土等が反映されています。

例えば、貴族と庶民階級では服の素材が異なります。庶民は麻の服が普通で、貴族階級はシルクやウールの服を着ていました。

色にも階級による制限がありました。鮮やかで派手な色は上流階級が独占し、庶民は地味な色の服を着ていました。服とは、社会的な階級を表す記号であり、一目見るだけで社会的階層が分かることが重要だったのです。

また、キリスト教では下半身を露出することは罪深いこととされていました。胸を露出するより、脚を露出する方が恥ずかしいとされました。ミニスカートがイギリスから始まったのも、イギリスがプロテスタントの国だったからです。カトリックの国で脚を露出するミニスカートはタブーだったのです。

気候風土も服装の形状に影響しています。ヨーロッパの気候は乾燥しているので、襟も袖口も締めて、人体の表面と外気を遮断します。シャワーの後に、濡れたままの身体にバスローブを羽織ること、あるいはバスタオルを巻き付けるのも保湿のためです。

日本の気候は湿度が高いので、服の内側の通気を良くして、蒸れを防いでいました。そのため、きものは襟も袖も裾も開放的な構造になっています。また、タオルにも水分を素早く吸い取る吸湿性が求められます。

日本のサラリーマンがスーツにネクタイを締めているのは日本の気候に合っていません。しかし、ヨーロッパが服装の規範を作ったので、日本人はそれに従い、苦行に耐えているのです。

ヨーロッパから生れたファッションには、ヨーロッパ第一主義が内包されています。他の地域の人間からすれば非常に差別的かつ非合理的な要素を感じるのは当然だと思います。

3.マイノリティによる下克上

世界のファッションを支配してきたヨーロッパのファッションの最大のライバルはアメリカです。

アメリカの経済力が、パリのオートクチュール、プレタポルテを支え、アメリカの百貨店はパリの最大の顧客でした。

一方で、パリのコレクションを元に、大量生産大量販売したのもアメリカのアパレル企業です。顧客であると同時にライバルであるということです。

そのアメリカから白人以外のマイノリティがリードする異質の文化が生れました。それがヒップホップに代表される黒人文化です。これは、ある意味の不良文化とも言えます。白人に蔑視された黒人による白人文化への反発であり、コンプレックスの昇華ともいえるでしょう。

やがてマイノリティの中から、大成功を納めるミュージシャン、スポーツ選手、エンターテイナー等が生まれ、彼らはファッションリーダーとなり、世界中の若者に影響を与えるようになりました。

こうして「文化」とはヨーロッパの白人が認定するものという常識が壊れました。そして、ヨーロッパ中心、白人中心の主流文化と、それに対抗する黒人やヒスパニック系の文化が対立するようになりました。

ヨーロッパのラグジュアリーブランドは、ヨーロッパ中心、白人中心の主流文化の担い手です。時代の変化と共に、新しいテーマを探しています。彼らにとって、黒人文化も一つのシーズンテーマに過ぎません。使い捨てコンテンツの一つです。

ラグジュアリーブランドがコレクションで、黒人文化をテーマとして取り上げることは、以前なら喜ばれたことでしょう。

しかし、今や彼らはラグジュアリーブランドの優良顧客です。そして、新時代のファッションリーダーです。彼らが支持したブランドの人気が出ることも珍しくありません。最早、評価を決定しているのは、白人ではなくマイノリティなのです。

時代の変化によって、「自分たちの文化が白人に認められた」という認識から、「自分たちの文化が白人に盗まれた」という認識に逆転しました。そして、「文化盗用」という概念が生れました。

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