もう1月も終わりになりますが、お正月のお餅をまだちょっとずつ食べているという人も多いのでは?そんなお餅の定番メニューといえばお雑煮。でも、なぜ日本人はお雑煮を食べるようになったのでしょうか。前回、『あなたの実家はどっち?出身で分かれることの多い「お餅」の形状』の記事で西日本と東日本の「お餅」の違いについて語った著者のUNCLE TELLさんが、自身のメルマガ『安曇野(あづみの)通信』で、今回は「お雑煮」について調査しています。
さまざまな餅物語 全国雑煮文化圏マップ
前回号には、おこげが挟まったが、「さまざまな餅物語」シリーズを続けているところ。
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餅といえばむろん、雑煮の話は外せない。雑煮は多くの人にとって関心があることのようで、また、角もちか丸もちか、焼くか煮るか、汁はすまし汁か味噌仕立てか?具材は?などなど、食文化の多様性を具現するものとして、実証・研究も行われているようである。
すなわち、ネットで検索すると、同じような内容だが、雑煮文化圏、雑煮文化マップ、雑煮文化圏地図など、また糸魚川静岡構造線におおまか近い角もち丸もち境界線を含め図示も豊富、興味深いものがいっぱい出て来る。その一つ、「全国のお雑煮文化圏マップ」を引き合いに話を進めたい。
そこには、「雑煮には正月に幸いをもたらしてくれる年神様をを迎えるため、神様に供そなえる地域の産物(野菜、いも、魚など)を餅と共に一つの鍋なべで煮て、神様と一緒に食べる料理とされている」とある。
「全国のお雑煮文化圏マップ」では「ルーツは平安時代、公家たちが正月祝いわいに中国伝来のワンタンをもちに代えてあわびの汁しるで煮て食べていたものといわれ、室町時代になると雑煮と呼ばれて上流階級の祝いの席でよく出されるようになった」と記されているが、これには異論も。
一方ウイキペディアには、
雑煮を元来は武家社会における料理であり、餅や野菜、乾燥食品などを一緒に煮込んだ野戦料理だったのではないかと考える説。この説によれば、正月に餅料理を食する慣習は古代より「歯固」の儀式と結び付いた形で存在しており、それと関連して発生した。雑煮は元は烹雑(ほうぞう)と呼ばれており、この料理が次第に武家社会において儀礼化していき、やがて一般庶民に普及したものとみられる。
と。
ともあれ。雑煮が正月祝いの食べものとして全国に広まったのは江戸時代の元禄時代以降のようで、この頃から地方色豊かな食材を使って作られるようになっていく。
現在でも各地の雑煮には、この江戸時代から続く地域の食文化の特徴を見ることができるというわけである。
以下、雑煮文化圏マップの本題に入って行くのだが、どうも長くなりそうなので本号はこれまで。
なお、「全国のお雑煮文化圏マップ」は、独立行政法人 日本スポーツ振興センターのホームページに掲載のものである。 UNCLE TELL
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