若手から出なかった「自民党をぶっ潰す」の声。政権与党が衆院補選2選挙区で候補者すら立てられなかった裏事情

2024.05.01
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4月28日に行われた衆院3補選で、2つの不戦敗を含む3戦全敗を喫した自民党。唯一候補者を立てた「自民王国」である島根1区でも惨敗と言っていい結果に終わりましたが、何が政権与党このような惨状を招いたのでしょうか。政治学者で立命館大学政策科学部教授の上久保誠人さんは今回、その理由を詳細に解説。さらに補選すべてで勝ちを収めた立憲民主党が、政権を奪取するため打ち出すべき2つの政策等を考察しています。

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:衆院3補選「自民惨敗」と「立憲3戦全勝」を総括する

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

衆院3補選「自民惨敗」と「立憲3戦全勝」を総括する

衆院東京15区、島根1区、長崎3区の補欠選挙が投開票された。3補選は自民派閥による「政治資金パーティー収入の裏金問題」後の最初の国政選挙だった。「政治とカネ」が最大の争点となった。自民党(以下、自民)は、東京と長崎で候補者の擁立を見送った。唯一候補者を立てた島根で敗れ全敗を喫した。一方、立憲民主党(以下、立民)は、候補者を降ろした共産党(以下、共産)の協力を得て、3戦全勝した。

この3補選は「幽霊同士の闘い」だった。実質的に「自民VS共産」という裏の構図があったからだ。「裏金問題」は、共産党の機関紙『赤旗』日曜版の22年11月5日号が「パー券収入 脱法的隠ぺい 2500万円分不記載 岸田派など主要5派閥」とスクープしたことから始まった。その後、安倍派、二階派など派閥の解体、安倍派幹部などの処分、二階俊博元幹事長の引退に至った。他の野党とは次元が違う、幅広く、深く社会に食い込んだ情報源を持つ共産が、裏金問題追及の実質的な中心だった。

だが、補選での共産の戦略は「候補者を降ろして、反自民の候補者を応援し勝たせる」だった。結果として、共産はすべての補選で候補者を擁立せず、自民も3つのうち2つで「不戦敗」となった。しかし、裏では両党の間で凄まじい駆け引きが繰り広げられた。姿のみえない「幽霊同士の闘い」だったのだ。

自民は、東京と長崎2つの補選で候補者を擁立できず「不戦敗」を選択せざるをなかった。東京15区は、秋元司氏、柿沢未途氏と2人続けて自民党の現職議員が汚職事件で逮捕されて辞職した。長崎3区は、「裏金事件」で、安倍派の谷川弥一衆議院議員が辞職した。

島根は、故・細田博之前衆院議長の地元で「保守王国」だった。だが、自民新人の錦織功政氏は、立民元職の亀井亜紀子氏に敗れた。汚職に揺れる自民が敗れること自体に驚きはない。だが、3つの補選のうち2つで「不戦敗」は異例だ。

異例というのは、以前ならば自民の危機には「改革派」が現れ、首相・党執行部を突き上げて自民は再生したからだ。80年代後半の「リクルート事件」で自民が世論の厳しい批判に晒された時、石破茂氏、岡田克也氏など多くの若手が「政治改革」の声を挙げた。彼らは自民党を出て新党に参加し、改革を実現した。2000年、森喜朗首相(当時)の度重なる失言等で自民が危機的状況に陥った時にも、小泉純一郎氏が「自民党をぶっ潰す」と言い放ち首相になり、自民を救った。

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