「褒めて伸びる」のは普通レベルまで。然るべき時に“叱る”ことの重要性

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「叱るのは悪」という考えは少し前に流行り、今ではすっかり“なり”を潜めています。しかし、「叱る」ことと「怒る」ことの違いが難しいと思ってはいませんか? メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』。その著者で現役小学校教師の松尾英明さんは今回、子供であっても上司や同僚であっても、然るべき時に「叱る勇気」を持つべきだと語っています。

然るべき時に叱る勇気をもて

「叱るは悪くほめるは良い」というのは、少し前には流行ったが、今ではすっかりなりを潜めた理論である。ちなみに私は「褒めて伸びるのは普通レベルまで」というのが持論である。(元々は、私のオリジナルではなく、友人の言である。)

次の本から。

「叱らない」が子どもを苦しめる』 藪下 遊・ 高坂 康雅 著 ちくまプリマ─新書

この本の主張の中心は「叱る」ことと「押し返す」ことのバランスの大切さである。

叱られない世界。理想的であるように思われている。これは、全くの誤解である。

人間は、誤る。それは、叱られることによって気付ける。

教えられても、わからないことがある。優しく諭されても、わからないことがある。叱られて初めてわかることがある。

小学校において全く叱られないということは、端的に言って、不幸である。どんなに「優良」な子どもであっても、誤った行動をとる。むしろ、真面目な子どもほど、陰で、婉曲的に、知らず知らずのうちに意地悪をしてしまうという面もある。あからさまに悪い行動をとる子どもの方が、よほど対処しやすいというのが真実である。ここへの理解は、人間という生き物を相手にする上で、大切なことである。

ここは「善魔」にも似ている。誰にも言われないから、実は悪いことをしているのに気付けない。勇気ある人に叱られて(指摘されて)初めて気付く。

学級担任に断然必要なのは、勇気である。

勇気とは、危ないことを恐れず突っ込むことではない。危ないのに平気だと思ってやってしまうのは、単なる蛮勇でしかない。「為すべきを為す」という実行力そのものが勇気である。

つまり、言うべきことを言う、というのが勇気である。これは対子どもに限らず、対保護者、対同僚、対上司、全てに言える。

叱るというのは、愛情がないとやれない。愛情がない場合は、叱っているのではなく、単なる憂さ晴らしである。叱るということのベースには、相手を慮りながら、自身が傷つくかもしれない覚悟がある。見返りを求めない行為、即ち愛情そのものである。

子どもに対しては、然るべき時に叱るべきである。相手は未完成で未熟でこれから伸び行く存在なのだから、当然である。対若手にだってそうである。言うべきことを言ってくれた相手には、感謝こそすれ恨むことはない。(もし恨まれたとしたら、それまでの話である。それは相手自身の課題である。)

叱るという言葉が、怒るとか憂さ晴らしとかと混同されているのが問題である。然るべきは叱る。別に怖く言う必要は全くない。「それはいけない」と伝えるのが、叱ることである。

相手を慮って叱ることができるようになれば、学校は確実に変わっていくと思われる。

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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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